卑弥呼は神功皇后ではない
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記紀には卑弥呼の名前は出てきませんが、
卑弥呼を実在と信じている歴史学者は、
きっとそれに該当する歴史上の人物がいるはずだと主張しています。
その候補が天照大神、倭迹迹日百襲姫命 及び神功皇后の3名です。
天照大神、倭迹迹日百襲姫命については否定の記事を書きましたので、
今回は神功皇后について考えてみようと思います。
1.時代の検証
卑弥呼は2世紀末から3世紀半ばの女王となっています。
一方神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后ですから、
仲哀天皇の時代と言うことになります。
では仲哀天皇はいつ頃の天皇でしょうか。
そこで以前提示した2倍歴を修正した年表をもう一度書きますと、
初代神武天皇 3世紀初め
第10代崇神天皇 4世紀前半
第16代仁徳天皇 5世紀初め
*2倍歴の修正は古代天皇の在位期間を平均13年としたものです。
この数字は私の独自に出した数字ですが、
京都大学国史研究室編の調査 とほぼ一致しており、
チャットGPTも妥当な数字だと認めています。
第14代仲哀天皇は第10代崇神天皇(4世紀前半)と、
第16代仁徳天皇(5世紀初め)の間に入りますので、
神功皇后もおよそ4世紀後半の人と言うことになります。
これは卑弥呼とは1世紀以上後の人と言うことになり、
全く時代が合っていないことが分かります。
2.身分上の検証
もう前述の項でお判りになったと思いますが、
神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で独身ではありません。
卑弥呼は生涯独身を貫いていますので全くの別人と言うことになります。
以上のようにわざわざ取り上げる必要もないくらい、
時代的にも身分上も全く異なっているのです。
世の中にこのような説が出てくること自体不思議な気がします。
そもそも神功皇后自体を架空の人物と主張する人たちもいます。
これは記紀を神話の作り話とするGHQの意向に染まった人たちです。
しかし神功皇后の伝承は北部九州特に福岡に多く残されているのです。
私が子供の頃から聞かされていた話に北九州市八幡西区にある帆柱山の名の由来があります。
この山から杉の木を切り出し、
神功皇后の朝鮮出兵の船の帆柱にしたという伝承からつけられたと言われています。
また福岡市東区名島地区の海岸線に、
国の天然記念物に指定された珪化木 がありますが、
これは香椎宮の社伝に 神功皇后の三韓征伐の帆船の帆柱が化石になったという物があります。
すなわち福岡市と北九州市と言うかなり離れた場所に、
同じような言い伝えが残っているということは、
全く作り話と決めつけられないような気がします。
少し本題から外れましたが、
結論としましては卑弥呼は神功皇后であるはずがない。
と言うのがこの記事の結論になります。
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