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日本神話は作り話か?

      2020/12/05

日本書記や古事記で語られる日本神話は、
多分にファンタジーな記述になっているため、
全くの作り話だと思う人や、
いやいや何らかの史実に基づいているはずだという、
読む人によって大きく見解が分かれるようです。

作り話だと主張する人の中に、
天皇の権威を高めるために作られたと思っている人もおられます。
しかしこれはおかしい。
なぜなら醜い後継者争いだけでなく、
夫婦喧嘩や兄弟喧嘩など如何にも世俗的で、
むしろ権威を損なうような部分もあるからです。

本当に権威を高めるためなら、
勇敢に邪悪な敵を撃退したとか、
災害で苦しむ住民を救済したとか、
もっと多くの美談が書かれているはずです。

とても天皇の権威を高める内容にはなっていないことは、
一度でも読めばすぐにわかるはずです。

八岐大蛇などいるはずはありません。
だからでたらめだと決めつけれることではなく、
何かの比喩だとも考えられるのです。
一説には河川の氾濫と見る人もいますし、
スサノウノ命に反抗した部族と見ることもできます。

私が史実ではないかと考えている理由は、
随所に辻褄の合う部分が見られるからです。

天孫降臨の際、
高天原はスサノウノ命とニニギノミコトに、
葦原の中つ国を治めるように命じています。
(スサノウノ命は正確には追放ですが)
すなわち日本を葦の中の国と表現しているのです。

日本は縄文海進によって多くの平野部が生まれました。
平野部は始めは湿地帯ですので葦で覆われたはずです。
すなわち日本は葦の中にある国に見えたはずです。
このように当時の自然現象と辻褄が合っているのです。

また天孫降臨のあと国譲りが行われます。
国譲りとは高天原の天照大神の命令で、
出雲の大国主命が神殿の建設を条件に、
日向のニニギノミコトへ国を譲る物語です。

これも作り話と思われていましたが、
条件とされた巨大な神殿跡が出雲で見つかったのです。
またなぜ争わずして国譲りが行われたかの理由ですが、
天照大神からみますと、
高天原-日向は本家であるのに対して出雲は分家に当たります。

分家は本家の命令に逆らえなかったとすれば、
これも辻褄の合う話なのです。

さらに言いますと、
神武東征は安芸(広島)と吉備(岡山)を経て畿内に入りますが、
戦いは畿内に入ってからなのです。
日向の天孫族は出雲からの国譲りで、
九州の東半分と中国地方を領土としていましたので、
領内である安芸と吉備で戦いが起こらなかったのは当然だと解釈でき、
国譲りと神武東征は辻褄が合っているのです。

記紀は九州から近畿まで広範囲にわたる物語です。
各地に残る伝説や言い伝えを元に作られたものですが、
すべてが作り話であるなら、
このような広範囲の多くの人達と口裏を合わせる必要があります。

第一そのような嘘の歴史を作ろうとすれば、
天皇の権威を高めるどころか、
逆に権威を失墜させるはずです。

日本人は嘘ごまかしを最も嫌う国民です。
深夜誰が見ていなくても信号を守りますし、
落し物はかなりの確率で戻ってきます。

このような国民性を持つ日本人が、
天皇の歴史をねつ造したと思えません。
初代天皇である神武天皇から残る家系図は、
嘘にしては余りにもリアルで、
とてもねつ造したものとは思えないのです。

神武天皇の寿命が高すぎるという意見がありますが、
もしねつ造したのなら嘘がばれないように、
むしろ妥当な年齢にしてあるはずです。
これは当時は2倍歴と言って、
半年を一年と勘定していたからだと言われています。

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