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縄文海進が西から東への縄文人の大移動を引き起こした?

      2017/08/15

西日本と東日本の縄文遺跡を比較しますと、
西日本は例えば九州の上野原遺跡や東名遺跡のように、
約6000年前に起こった縄文海進以前の、
比較的古い遺跡が見つかっているのに対して、
東日本の遺跡は例えば三内丸山遺跡のように、
縄文海進以降の比較的新しい遺跡が中心です。

特に佐賀で見つかった東名遺跡は泥に埋まった状態で見つかっており、
縄文海進の恐ろしさを如実に表しています。
九州では縄文海進直後の土器が激減しており、
縄文海進によって人が住めない状態になったと考えられます。

ところが東日本は縄文海進以降、
人口が急激に増加していることが分かったのです。
三内丸山遺跡は正にこの時に作られたことが分かっています。
これは縄文海進によって西から東への縄文人の大移動が起こった、
と考えられないでしょうか。

実は朝鮮半島でも同じことが起こっていて、
九州で縄文土器が減少した縄文海進以降、
朝鮮半島で北部九州の縄文土器によく似た、
櫛目文土器が出土し始めるのです。
韓国国立中央博物館から出されていた古代年表を見ますと。
それまでほとんど土器が出土していないところで、
縄文海進以降突然高度な土器が出現したことになるのです。

これは縄文海進によって九州の縄文人が朝鮮半島に移り住んだ、
すなわち東日本の人口増加の時期と同じころ、
朝鮮半島にも人の移動があったと言うことを表しているのです。

約3000年前になると、
縄文海進がおさまって海岸線が現在とほぼ同じに戻っています。
この頃東日本の人口は減少しており、
逆に西日本には例えば吉野ケ里遺跡のような、
大規模集落が作られているのです。

また上野原遺跡の地層調査でも、
約3000年前から再び集落が作られていることが確認されているのです。

以上を総合的に考えますと、
約6000年前の縄文海進によって西から東に人口の移動が起こり、
約3000年前になって縄文海進の影響が無くなったころ、
逆に東から西へと人口の逆流が起こったと言えるのではないでしょうか。

では縄文海進の何が人口の移動をもたらしたのでしょうか?
私はその原因は葦にあったと考えています。
縄文人の食材は様々ですが、
特に海産物は縄文人にとってなくてはならないものであったはずです。
各地で貝塚が見つかっているからです。

縄文海進が起きますと生態系が大きく変化します。
広大な湿地帯が出現して一面葦で覆われるようになったはずです。
縄文人は葦をかき分けて漁に出るという障害だけでなく、
大量の葦は岩場を消失させ、
大切な食材である海藻や貝を激減させたと考えられます。

葦はイネ科の植物ですので、
熱帯から温帯が生息域になっており、
そのため東日本や朝鮮半島は西日本に比べて、
葦による障害がほとんどなかったのではないでしょうか。

縄文時代は栽培技術が十分確立しておらず、
基本的に狩猟生活であったため、
海産物が手に入りやすい東日本や朝鮮半島へ移動したと考えられます。

弥生時代の約3000年前になると海退によって、
大地が乾燥して葦が減少した広大な平野部が出現します。
栽培技術がある程度確立したこともあって、
東日本より温暖な西日本の方が栽培条件が良くなったために、
東より西へと人口の逆流が起こったのではないでしょうか。

以上のように縄文海進が生態系を変化させ、
より条件の良い場所を求めて、
西から東、さらには東から西へと人口の移動をもたらしたというのが、
この記事の結論です。

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