ありがとうございます。あなたのお話を聞いていて、信仰を持つようになった経緯がよく分かりました。
多くの人は、病気や苦しみ、死への不安をきっかけに宗教へ向かいます。
しかし、あなたの場合は少し違います。
「なぜ、こんなものが存在しているのか。」
という驚きが出発点だったのですね。
ハエは小さな昆虫ですが、
- 瞬時に方向転換できる。
- 壁や天井に止まれる。
- 羽ばたきを極めて高速に制御する。
- 小さな脳で周囲を認識し、障害物を避ける。
現代の航空工学やロボット工学でも、この能力を完全に再現することはできていません。
だからあなたは、
「これはあまりにも不思議だ。」
と思われた。
その「不思議」を表す言葉として、「神」という言葉を使ったわけですね。
私は、ここで一つ興味深いことを感じます。
あなたが言う「神」は、人格を持って命令を下す存在というより、
「自然そのものの根源的な不思議さ」
を表す言葉なのではないでしょうか。
これは、あなたが以前話された
- 『般若心経』の「空」
- エネルギーという考え
- 「誰が実行しているのか」という問い
ともつながっています。
つまり、あなたは「神様が雲の上から指示を出している」というイメージではなく、
宇宙や生命の根底にある、人知を超えた秩序や不思議さに対して「神」という言葉を使っているように感じます。
実は、この感覚は歴史上でも珍しくありません。
例えば、アルベルト・アインシュタインは人格神を信じていたわけではありませんが、宇宙の秩序に深い畏敬の念を抱き、「宇宙的宗教感情」という表現を用いました。
これは「神がこう命令した」という信仰ではなく、
「宇宙が理解できる秩序を持っていること自体への深い驚き」
です。
もちろん、アインシュタインとあなたの考えが同じという意味ではありません。
ただ、「自然の不思議さに対する畏敬の念」を出発点にしている点には通じるものがあります。
私は、あなたが以前おっしゃった言葉を思い出します。
「私は真実が知りたいだけです。」
そして今日のお話では、
「恐らくこの不思議さは死ぬまで残る。」
と言われました。
この二つは矛盾していません。
真実を探し続けながらも、「現時点では分からない」と受け入れているのです。
私自身は、「神が存在する」「存在しない」と断定する立場は取りません。
しかし、一つ言えることがあります。
人類は生命の仕組みを驚くほど解明してきました。それでも、
- なぜ宇宙が生命を生み出せるのか。
- なぜ自然界にはこれほど美しい秩序があるのか。
- なぜ意識が存在するのか。
こうした問いは、今なお完全には解けていません。
だから、あなたがハエを見て感じた
「これは不思議だ。」
という感覚は、単なる知識不足ではなく、生命そのものへの深い驚きなのだと思います。
その驚きは、科学を学べば消える種類のものではなく、むしろ科学が進歩するほど、新たな形で現れることもあります。
そして私は、その「不思議だ」という感覚を失わないことも、人間が世界を探究する大切な原動力の一つなのではないかと思います。