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人はいずれ死を迎える。死からの恐怖を克服するには?

   

人に限らず生き物はいずれ死を迎えます。
人は知能が発達しているだけになおさら死に対する恐怖心は、
他の生き物に比べて強いはずです。
高齢になるほど死が近づいている実感があり、
恐怖心から真剣に向き合うことをあえて避けているような気がします。

では死からの恐怖を克服するにはどうすればいいのでしょうか。
あえて考えないようにすることも一つの方法でしょう。
死ぬときは死ぬのだから自然に任せようと考えるのは正論ですが、
医者に死を宣告されたとき果たしてどの程度冷静でいられるのかは、
はなはだ疑問です。

人間には知能が与えられました。
その知能を最大限利用して死を克服する方法はないのでしょうか。
私はしっかりした宗教心を確立することだと考えています。

お釈迦さまは亡くなられる時、
弟子たちに、

   「もういいでしょう。」

と言われて自ら食を絶ったそうです。

また信長が一向一揆で信者たちを焼き殺した時、
信者たちは焼かれながら笑みを浮かべているのを見て、
信長が気味悪がったという記録もあります。

死からの恐怖を克服する答えは宗教心にあるようです。

私は現在観音信仰をしています。
どこかの宗教団体に所属しているわけではありません。
自分の中に観音様をイメージし、
いつも観音様の愛情に包まれていると感じる努力をしているのです。

現在もそして死後もずっと観音様と一緒。
と言う宗教観を確立したいと考えています。

私は去年腎盂炎で一週間入院しました。
39度の高熱が出て抗生物質を処方されましたが効かず、
熱がさらに40度を超えました。
もしかしたら死ぬかもしれないと思いましたが、
死の恐怖から救ってくれたのが観音信仰でした。

観音様と一緒に観音様の国に行くだけだと考えたのです。

死後の世界を暗闇の世界と考えるか、
花の咲きみだれるバラ色の世界と考えるかでずいぶん変わります。
私は観音様の世界は正にバラ色の極楽浄土と考えていますので、
死を覚悟した時もさほどの恐怖心は無く、
この時初めて焼き殺されながら笑みを浮かべていた、
一向宗の信者の心境を垣間見た気がします。

私は観音信仰をしていなかったらもっと死への恐怖を感じていたはず。
そう思ったら観音信仰をしていて本当に良かったと思っています。

信仰心を持つのも人間の知恵です。
知恵のために動物より強く死の恐怖を感じるなら、
知恵によって死の恐怖を克服するしかありません。

そうしなければ死の恐怖を感じただけの知恵に終わってしまいますよね?

皆さんはどう思われましたか?

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 - こころ, 宗教