欲を捨てなければ幸福になれない
人は皆幸福になりたいと思っているはずです。
しかし心から自分は幸福だと思っている人がどれ位いるでしょうか。
皆幸福を願って日々努力しているはずです。
必死で働いて収入を増やす。
気に入った異性を求めて婚活をする。
皆幸せになるための行動です。
私はよく豊臣秀吉の人生を考えます。
豊臣秀吉は貧しい農家から出発し、
織田信長の下で必死に働き、
大出世の末に天下を我が物にします。
天下を取った後は贅沢三昧。
地位も名誉も金も女もすべてを手にします。
男としてこれほどうらやましい人生はないでしょう。
しかし秀吉は本当に幸福感を持っていたのでしょうか?
秀吉は死ぬとき、
露と落ち露と消えにしわが身かな浪速のことは夢のまた夢
という辞世の句を残しています。
この句から自分はこの上なく幸せな人生を送ったという意味は微塵も感じられません。
人生のむなしさしか伝わってこないのは私だけでしょうか。
徳川家康も辞世の句ではありませんが同じような言葉を残しています。
人の一生は重き荷物を負い長い坂道を上るがごとし
この中にも人生は楽しいどころか苦しみの連続だという意味にしか伝わってきません。
天下を意のままにした天下人ですら幸福は手に入れられなかったということです。
秀吉も家康も天下を取るという最高の欲を追及し、
その夢を実現させた結果がこれなのです。
結局欲を追及しても幸福は手に入らないということを証明しているのではないでしょうか。
少し違った見方をしてみましょう。
時の権力者は常に身の危険にさらされます。
敵はもちろん身内からも謀反という危険が付きまとうのです。
一刻も気の休まらない心境でしょう。
自由もありません。
どこに行くにも気楽にというわけにはいかないのです。
どこに暗殺者が潜んでいるのか分かりません。
安全も自由もない人生のどこがいいのでしょう?
私はこう考えると路傍の石のようなわが身のほうが遥かに幸福だと思われます。
日本にいる限り身は安全で自由です。
欲を捨て今の状態で十分だと考えれば、
安全な日本に生まれたことだけでも心から幸福感を覚えます。
かろうじて生きていけるだけの経済力さえあれば、
心の持ち方一つで幸福は簡単に手にできるのではないでしょうか。
他人と比較してわが身を嘆き、
不平不満の中で一生を終える。
僅か100年足らずの人生をこんな風に生きたくはありませんよね。
皆さんはどう思われますか?
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