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神話の時代の天皇家の歴史を考える

      2017/09/13

古代日本の歴史は天皇の歴史と言っても過言ではありません。
なぜなら日本は天皇を中心として国つくりが行われてきたからです。
ところが大和朝廷成立以前の歴史は、
各地に残る言い伝えを元に作られた古事記や日本書紀
(以下記紀と略す)から読み解くしかなかったのです。

私も日本書記は読みましたが非常にファンタジーな内容であるため、
真偽に疑わしいところが多々あることは事実です。
従って記紀だけで実際の歴史を知ることには無理があると思われます。

近年になって遺跡の調査や遺伝子解析の技術が進みました。
そこでここでは記紀の記述と遺跡や遺伝子からの分析から、
九州で起こった出来事を元に総合的に考えることによって、
神話の時代から大和朝廷成立までの天皇家の歴史を、
出来る限り矛盾の無いように推測してみました。

ここではまだ私見の段階ですが、
神話の時代の天皇家の実際の足取りを追ってみたいと思います。

約7300年前、
鹿児島沖の硫黄島で大規模な海底火山の噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火です。
これによって南九州の縄文集落が壊滅したことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

    *火山灰の深さは上野原で最大1m、九州の中間の阿蘇で約15cm~20cmですので、
     南九州全域はほとんど人が住めない状態になったと考えられます。

一部に南九州の縄文人が絶滅したと主張する人がいますが、
硫黄島までは最短でも50kmありますので、
部分的な死傷者が出たかもしれませんが、
とても絶滅するような地理条件ではありません。
常識的には大多数の住民は食料が尽きる前に北部九州に移住したと考えられます。
ここで使われていた磨製石斧が日本各地で見つかっていますので、
絶滅したのではなく逃げ出したと考えるのが普通でしょう。

記紀の記述から、
元々は日向(宮崎)に住んで居られたと考えられる天皇家のご先祖も、
日向の住民と共に北部九州に移住されたと思われます。
移住先は現在の宗像市周辺だったのではないでしょうか。
これは宗像市が天皇家とのつながりを強く感じさせる、
多くの証拠が残されているからです。

宗像市と隣の福津市一帯には、
天皇家を象徴すると言われる前方後円墳が高密度で集中しています。

    *このほど宗像大社を含め世界遺産に登録されました。

また天照大神の両親のイサナギ、イザナミを奉る八所宮の存在。
さらに天照大神の3人の娘さん(3女神)を奉る宗像大社の存在、
など他の地域に比較して天皇家との関りが深いことから、
天皇家の移住先だった可能性が高いと考えられるのです。

    *宗像は宗像一族が支配していたと言われています。
     ところが宗像一族に関する資料が一切残されていないので、
     謎の豪族と言われているのです。
     しかし以上の推測が正しければ、 
     宗像一族は正に天皇家だったと言えるのではないでしょうか。

ところが約6000年前になって縄文海進が起こり、
低地の集落は水没してしまいます。
これは佐賀で見つかった東名遺跡が当時の悲惨な状況を表しています。
すべてが泥に埋まった状態で見つかったのです。

住民の多くは当時無人だった朝鮮半島に渡ったと考えられます。
なぜならこの時期以降九州の縄文土器が激減し、
直後に朝鮮半島で北部九州の縄文土器によく似た櫛目文土器が、
出土し始めるからです。

     *韓国国立中央博物館から出されていた、
       古代朝鮮半島の年表からの引用です。

朝鮮半島は気候の関係で葦が生息できず、
縄が作れなかったために櫛で文様を付けたと考えられます。

天皇家のご先祖も日向の住民と共に朝鮮半島に渡られたと考えられます。
その後の天皇家と百済王家の緊密な交流を考えますと、
天皇家の移住先は半島南西部(後の百済の地)と考えられます。
ここだけに十数基の前方後円墳が見つかっているのです。

   *昔から天皇は朝鮮半島から来られたとか、
    百済出身と言う噂がありました。
    本文の2つの災禍で朝鮮半島に渡られたとすれば、
    噂ではなかったと言うことになります。

天皇家のご先祖はそこで日向の住民を統治され、
支配者が天照大神の時、
九州の自然が回復したのを見計らって、
日本本土への帰還を実行されたのではないでしょうか。
これが天孫降臨の神話として残されたと考えられます。

    *このことが事実だとすれば高天原は朝鮮半島だったことになります。
     日本のことを葦原の中つ国と呼んでいるのは、
     気候の関係で葦の生えない朝鮮半島に対して、
     縄文海進によって日本列島の平野部は葦に覆われていたはずですので、
     日本が葦の中にある国に見えていたためだと考えられます。

まず弟のスサノウノ命を出雲に降臨させます。
次いで、
孫のニニギノミコトを故郷である日向に降臨させたと考えられます。
出雲にはスサノウノ命は海を渡ってこられた。
という伝説が残っているのです。

スサノウノ命の息子である大国主の命が、
強大な出雲の国を作り上げますが、
天照大神の命令でニニギノミコトへの国譲りを命じられるのです。

天照大神から見ますと、
孫のニニギノミコトの日向は本家、
弟のスサノウノ命と息子の大国主命の出雲は分家に当たりますので、
分家は本家の命令に逆らえなかったということではないでしょうか。

    *本家や分家という概念があったかどうかわかりませんが、
     高天原を引き継いだ支配者は間違いなく天照大神であり、
     ニニギノミコトはその孫ですので本家ということになると思います。
     実際に出雲は天照大神の命令で日向に譲度されたのですから、
     本家と分家の関係だと言えると思います。
     また国譲りは長い間作り話と考えられていましたが、
     出雲で国譲りの条件とされた巨大な神殿跡が見つかったことから、
     国譲りが史実だった可能性が出てきたのです。

国譲りが行われたことで日向の天孫族は、
九州の東半分と中国地方の広大な領地を所有したことになり、
後の神武天皇の東征を容易にさせたと考えられます。

東征の際の戦いは近畿に入るまでは起こっていないのは、
領地内を移動したからだと説明できるのです。
神武東征によって大和朝廷が成立し、
後の日本武尊によって全国制覇が行われたのです。

以上が神話の時代の推測される天皇家の歴史です。

朝鮮半島の南西部で見つかった前方後円墳の内部は日本式であり、
出土した人骨の形態と遺伝子も日本人であることが分かっています。
従って以上推測した歴史は根拠のない憶測ではなく、
遺跡や遺伝子から見ても十分根拠のある推測なのです。


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