古代日本の歴史は説ばかりあって証拠が出ないのはなぜか?
2024/06/05
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古代日本の歴史論争は、
あーでもない、こーでもないという空論ばかりで、
しっかりした証拠が示された説は一つもありません。
なぜでしょうか。
最大の原因は日本国内に当時の記録が無いからです。
そこで中国の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国と卑弥呼を拠り所にしているのですが、
日本国内には明確な証拠が無いために、
このような推論ばかりの説になってしまっているのです。
このような時、
魏志倭人伝の記述の信憑性を疑うのが筋のはずですが、
戦後の日本の歴史学者はGHQの公職追放を恐れて、
GHQの意向に沿った天皇の歴史を否定する方針を受け入れ、
天皇の歴史を記した記紀を作り話と決めつけ、
その代わりに魏志倭人伝の記述を採用したというのが、
そもそもの混乱の原因だったのです。
邪馬台国と卑弥呼を実在と考えると次のような不都合が起こります。
1.日本国内にある伝承や風土記に一切登場しない
2.卑弥呼が収めたとされる倭国大乱の明確な証拠が出てこない
3.邪馬台国の位置が分からないないだけでなく卑弥呼がどこにも祀られていない
4.現在の天皇家とのつながりが全く解明されていない
ここでもし魏志倭人伝を外し、
記紀のみを採用するとどうなるでしょうか。
1.日本国内に多くの伝承や風土記に記述が見られる。
2.国譲りの条件とした神殿跡など記紀に記載された証拠が出ている
3.天照大神からの一連の天皇家の重要人物の多くが祀られている
5.神武天皇から始まる系図が残されている
現在の歴史学者はこのことにどう答えられるのでしょうか。
戦後70年以上たっているにもかかわらず、
まだGHQの間違った戦後史観に縛られているということでしょうか。
中国人の残した資料にそれほどの信憑性があるのでしょうか?
現在の中国は食品偽造が多く存在し、
ドラえもんなどの日本のアニメをまねたものを、
我が国のオリジナルだと主張する国なのです。
昔の中国人は今と違った国民性を持っていたということでしょうか?
真実の追及にこだわる理系人間の私には、
日本の歴史学者の思考回路が全く理解できません。
私は元理系の研究者だったこともあり、
生涯かけた研究が否定されることは耐えがたい気持ちはよくわかります。
しかし間違った研究はどこかで修正しないとますます泥沼から抜け出せなくなります。
多くの歴史学者の皆さん、
勇気をもって邪馬台国と卑弥呼から始まる間違った歴史を軌道修正してください。
歴史は国にとって大切なものです。
そして国民すべての財産なのです。
*倭国大乱の記述は魏志倭人伝にありますが、
記紀にはそれらしい記述はありません。
歴史学者の多くは、
環濠集落や高地性集落の存在が倭国大乱の証拠だと考えているようです。
しかし私はこれらは大陸からの侵略に備えたものではないかと考えています。
根拠は山陰の青谷上寺地遺跡で見つかった100体余りの損傷人骨を遺伝子解析したところ、
ほとんどが渡来人だったことが分かったからです。
すなわち大陸で興った秦の始皇帝から続く戦乱で傷ついて日本に逃げてきた人たちが、
追撃を恐れてこれらのものを作ったと考えられるのです。
もし本当に倭国大乱が起こっていたなら、
渡来人ではない多くの損傷人骨や武器の破片などが出土していてもいいはずです。
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