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他人と比較して境遇を嘆く人へ

      2021/01/25

≪情報メディア発信局へようこそ≫

いきなり自分の身の上話から始めさせてください。

私は3歳のころ小児結核を患い、
今でも肺のレントゲン写真に大きな傷跡が残っています。

私が就職した約50年前は、
第一次オイルショックの起こった時で、
団塊の世代ということもあって超就職難の時代だったのです。

ただでさえそのような状況下で、
肺に大きな傷跡のある私を企業が採用するはずもなく、
私は絶望してただ嘆くばかりの日々を送っていました。

そんな時たまたま立ち寄った小さな本屋で立ち読みした本の一説が、
私の考えを一変させたのです。

そこにはこのようなことが書かれていました。

尺八は竹で作られるが、
名器になる竹は決して日なたでは生まれない。
すくすくと育って節の詰まった竹にはならないからだ。
名器になる竹は日当たりが悪く栄養のない竹林で生まれるものである。
ほとんどの竹がまともに成長できない中で、
栄養が乏しいがゆえに少しずつしか成長できず、
結果的に節の詰まった尺八の名器になる竹が生まれるのだ。
人間も同じである。
悪い環境を自分の力で克服した人こそが、
人間としての名器になれるのだ。

表現はこの通りではなかったのですが、
私は目の前がぱっと明るくなったのを今でも覚えています。

それまで他人と比較し自分の境遇のせいにして嘆いてばかりいましたが、
この一説は悪い環境ほど名器に生まれる可能性が高いと言っているのです。

その意味では、
悪い環境は名器に生まれ変わるにはむしろいい環境ということです。

私はその時から嘆くことをやめ、
やれる所までやってみよう。
それでだめだったらあきらめよう。

と心に誓ったのです。

しかし人間はそう簡単に悟れるものではありません。

その後無事なんとか就職できたものの、
どうしても他人と比較する癖は治らなかったのです。

他人と比較するのは社会を構成する動物の本能かも知れません。
その本能に打ち勝つのは容易なことではないでしょう。

他人と比較することが本能なら、
むしろこの癖を消すのではなくうまく利用しようと考えたのです。

比較相手を人間ではなく野生の猿にしたのです。

野生の猿は森で毎日食料を探しています。
食料の豊富な季節はいいのですが、
冬になるとほとんど食料が手に入らなくなります。

寒い森の中で生きるために必死で食料を探す野生の猿を想像するのです。

そうすると自分が人間に生まれた幸運をひしひしと感じることができるのです。

幸福とは境遇が作るのではなく、
現状に満足できるかどうかという、
心が作っている感情なのです。

自分より恵まれた人と比較して嘆くより、
自分より恵まれない人と比較する。
私は恵まれない人と比較するのは道義上少し抵抗を感じますので、
野生の猿と比較することにしたのです。

私は時々自分に向かって、
「食べ物はあるか?」
「ある。」
「寝るところはあるか?」
「ある。」
「それなら十分」
と自問自答しています。

   *私はもう約30年も修行のまねごとをしていますが、
    もともと無かった社会性は全く向上していません。
    修業は社会性を身に付けることではなくあくまでも煩悩を消すことです。
    以前より煩悩は減りましたが、
    社会的にはむしろ身勝手になったかもしれないと思っています。
    他人を気遣うことより、
    自分が満足することの方を優先しているからです。

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