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天才を秀才に変える現在の教育制度は正しいのか。

      2021/02/11

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通常の人が理解できない能力を持っている人が天才です。
従って子供のころは周囲から理解できない言動や行動をすることがあります。

こんな時天才を周囲の人はバカとか変わり者と思ってしまうことがあるのです。

しかし過去の歴史を見ますと、
世の中は天才によって進化しています。

織田信長や坂本龍馬は政治の体制を変えましたし、
エジソンやアインシュタインは工学や物理学の世界を大きく進化させました。

しかし彼らは皆子供のころは普通以下と思われていたのです。

織田信長はうつけと言われていました。
やることなすこと常識はずれなことをするため、
周囲には全く理解されなかったのです。

坂本龍馬は勉強ができず、
家族にとうとう坂本家に出来損ないができたと嘆かれたほど、
出来の悪い(と思われていた)少年だったようです。

エジソンは子供のころ先生におかしなことばかり質問するので、
とうとう退学になったという話が残っています。

アインシュタインは子供のころは人とあまりしゃべることができず。
数学と物理以外は全く出来なかったために、
総合点で大学受験に失敗したという経歴を持っています。

私は幕末に興味がありますのでもう少し幕末のことを書かせていただきますと、

当時抜群の秀才と評価されていた土佐の武市半平太も長州の久坂玄瑞も、
明治維新にはほとんど活躍できませんでした。

むしろ秀才とは縁がないと思われていた坂本龍馬や西郷隆盛が、
維新の立役者になったのは、
秀才より天才が世の中を変えるという見方はあながち間違っていないはずです。

日本人の子供の中には今でも間違いなく気づかれない多くの天才はいるはずです。
しかし大人になるとほとんどがただの人になっていくようです。

ノーベル賞を取ったような科学系の人は天才の能力が発揮された例外と言えますが、
政治の世界を見ますと、
幕末や明治に見られたような天才的な能力を発揮できる人物が皆無のような気がします。

 *頭の良さを表す指標に理解力、記憶力、発想力がありますが、
  秀才は理解力と記憶力に優れた人であるのに対して天才は発想力に優れた人と言えます。
  試験問題は理解力と記憶力は試せますが発想力は試すことがむつかしいのです。
  したがって天才だから東大や京大に入れるとはかぎらないということです。
最近の入試問題はなるべく発想力を試したいと努力されれいるのかもしれませんが、
  所詮秀才が作る問題ですので、
  おのずから限界があるのは仕方がないのかもしれませんね。

私は天才が出にくい理由は現在の教育制度にあると思っています。
特に受験は総合点を必要とするために、
興味のないことまで合格することだけに時間を割かれているのです。

学校は必要なことを教えるというより、
学生を優劣で選別するためだけの機関のような気がするのは私だけではないはずです。

私たちが受験勉強や単位習得で必死で覚えてきたほとんどの知識は卒業とともに忘れさられ、
企業の方でも学校の授業は役に立たないということをあからさまに言う人もいます。

結局無駄な教育のために、
天才的な能力を持つ人が偏差値という基準で均一化され、
天才がごく普通の秀才に仕上げられていくという体制になっているのが実情なのです。

天才が世の中を進化させるとすれば、
これほどもったいない話はありませんよね。

   *明治の偉人たちが現在の教育を受ければただの人になったと私は思います。

   *囲碁や将棋の世界では特別な能力を持った子供が発見されますと、
    その能力が最大限に延ばされるために、
    奨励会という英才教育の体制ができています。
    政治、経済、数学、物理などでも、
    特別な能力を持っていると判断された子供は一般教育から外し、
    その部門に特化した徹底的な英才教育を行うという、
    囲碁、将棋と同じような体制があってもいいのではないでしょうか。
    そのために大学院があるではないかという人がいるかもしれませんが、 
    それでは遅すぎます。
    私は早いほどいいと考えています。 

 最後に蛇足ですが一言。
 間違った教科書でも子供のころ習うとそれが常識として定着します。
 教科書の怖さはそこにあります。
 一旦固定された常識はなかなか変更できません。
 GHQによって日本人に植え付けられた自虐史観は、
 70年以上たった今でも多くの国民の中に常識として残っています。
 秀才ほど間違った常識を多く持っていると言っても過言ではないでしょう。
    
    

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