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日本神話が史実である証拠はたくさんある

      2024/06/01

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現在の歴史教科書には、

記紀の記述はほとんど書かれていません。

これは現在の歴史学者の多くが、

日本神話を史実として認めていないということです。

ところが日本国内には日本神話にまつわる多くの伝説が残されているだけではなく、

多くの登場人物を祭った神社や古墳が多く残されているのです。

昔の日本人は架空の出来事を伝説として残し、

架空の人物の神社や墳墓を作るほど愚かだったのでしょうか。

ここではいくつかの事例を載せて、

果たして日本神話が全くの架空であったのかを検討したいと思います。

ここでは天孫降臨、国譲りおよび神武東征について見てみましょう。

1。天孫降臨

天孫降臨とは高天原を支配していた天照大御神の命令で、

孫のニニギノミコトが日向の高千穂の峰に降臨するという物語です。

そもそも高天原はどこにあったのでしょうか?

記紀によりますと、

高天原は天上界にあった。

天孫降臨はニニギノミコトが天から舞い降りた。

と言った常識ではありえない記述になっています。

これが正に日本神話を作り話と誤解される元になっているようです。

今高天原が朝鮮半島にあったと仮定して天孫降臨を考えてみましょう。

高天原が朝鮮半島にあったとする根拠は次の通りです。

縄文時代に鹿児島沖の薩摩硫黄島で巨大な海底火山の大噴火が起こっています。

この大噴火によって南九州の縄文集落が壊滅したことが、

鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになったのです。

このあたり一帯で使われていた磨製石斧が全国で見つかっていることから、

住民が南九州から逃げ出したことが分かったのです。

常識的には多くの住民は最も近い北部九州に逃げたはずです。

これは土器の年代が証明しています。

上野原遺跡で見つかった土器の年代は約8000年前のものですが、

北部九州には約7000年前の曽畑式土器が多く見つかっており、

この土器は南方性の土器と言われていますので、

南九州の縄文人が北部九州に疎開したという明確な証拠になっています。

しかしこの土器も約6000年前に消滅しているのです。

では住民はどこに行ったのでしょうか。

当時朝鮮半島は無人だったことが、

韓国国立中央博物館の古代年表で明らかになっています、

約7000年より前の5000年間に渡って土器が見つかっていないのです。

ところが約6000年前になって、

北部九州で作られていた土器とそっくりの櫛目紋土器が出土し始めるのです。

これは北部九州の縄文人が朝鮮半島に渡ったと考えるのが自然です。

このような流れを考えますと、

元々日向に住んでおられた天皇家のご先祖も、

大噴火から逃れて朝鮮半島に渡られたと考えれば、

そこが高天原になったというのは納得できる話ではないでしょうか。

さて本題の天孫降臨ですが、

時がたって火山噴火の影響が無くなって、

天皇家が元々の故郷に戻られたと考えれば、

これが天孫降臨の神話になったと考えれば、

これも十分納得できる話では無いでしょうか。

なぜ天照大御神が自ら降臨されなかったかという疑問は、

高齢だったために当時の丸木舟では玄界灘を渡れなかったと考えれば、

納得できる話です。

またニニギノミコトより前に天照大神の弟であるスサノウノミコトが

出雲に降臨していますが、

ここにはスサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っているのです。

これは高天原が朝鮮半島にあったということを示唆しています。

2.国譲り

国譲りとは天照大御神の命令で、

出雲の大国主命(分家)が日向のニニギノミコト(本家)に国を譲るという物語ですが、

これも長い間単なる作り話と思われていました。

*日向のニニギノミコト:天照大御神の直系の孫(本家)

*出雲の大国主命:天照大御神の弟であるスサノウノミコトの子供(分家)

ところが出雲で、

国譲りの条件として作られた巨大な神殿跡が見つかったのです。

それは記紀の記述に符合しており、

国譲りが全くの作り話ではないことが分かったのです。

このことは国造り神話が史実だった可能性を示唆するだけでなく、

これまで架空とされていた天照大御神の他、

ニニギノミコトおよび大国主命も実在していた可能性が高いということになるのです。

3.神武東征

神武東征とは日向のイワレビコノミコトが東征して、

畿内の樫原の宮で初代天皇に即位するという物語ですが、

これも日向から畿内に至る東征のルート上におびただしい伝説が残されているのです。

これらの伝説がすべて作り話とすると、

誰が何のために作り上げたというのでしょうか。

一か所ならともかく、日向から畿内に渡る広範囲に渡った伝説を、

すべて作り話と考えるほうが不自然と考えるのが常識的な見方のはずです。

またイワレビコ一行はルート上で歓待を受けており、

戦いは畿内を支配していたナガスネヒコとの間で起こったことを考えますと、

日向から吉備(岡山)まではすでに天皇家の領地だったと考えられ、

これは国譲り神話で譲られた領地だったと考えれば、

全くつじつまが合う話ではないでしょうか。

現在の畿内は当時と大きく地形が変わっており、

そのことが明らかになるにつれ、

神武東征の記述が間違っていないことが証明されつつあるのです。

以上のように日本神話がすべて作り話と考えるほうが無理があるのです。

皆さんはどう思われますか?

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