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縄文人は北海道と九州から、弥生人は九州から入ってきた。

      2019/12/07

日本列島に最初のモンゴロイドの一団が到着したとき、
日本は北海道と九州でつながっていました。
かれらはこの両方のルートから侵入したと考えられます。

これは遺伝子が証明しています。
人類を決定づけるGm遺伝子が北海道から九州沖縄まで、
ほぼ均一だと言うことは、
日本人は元々は同じ集団だったと言えます。

ところが女の遺伝子と言われるミトコンドリアDNAを見ますと、
九州と朝鮮半島はほとんど同じであるのに対して、
関東以西と東北以東で異なっているのです。

これは突然変異(塩基置換)を起しやすいミトコンドリアDNAが、
九州と北海道という異なったルートを採ったために、
変化して違いが出たと考えられるのです。
九州と朝鮮半島でほとんど同じなのは、
一方のルートが朝鮮半島経由だったことを表しているのです。

以上から最初のモンゴロイドは、
九州と北海道の2つのルートから侵入して、
関東でぶつかったと遺伝子が証明していることになります。

*石器の形状から見ましてもこの2つのルートが証明されています。
関東から西はナイフ形で東はクサビ形の違った石器が見つかっています。

この人たちは旧石器人と呼ばれており、
遺跡が日本列島各地で見つかっていることから、
日本列島全体に広く住み着いていたと考えられます。

彼らの遺伝子特に男の遺伝子であるY染色体はD系統であり、
この遺伝子はYAP遺伝子とも呼ばれて、
非常に温和な性格をもつ遺伝子と言われているのです。

彼らは後に縄の文様のある土器を作ったために、
日本では縄文人と呼ばれています。

*一説に縄文人の南方起源説である2重構造モデルがありますが、
東南アジアや台湾と沖縄で全くGm遺伝子が異なることから、
私はこの説には疑問を持っています。

その後日本列島は大陸から切り離され、
弥生時代になって大陸から新しい一団が侵入します。
この人種のY染色体はO系統で、
D系統に比べて体格がよく好戦的な性格でした。
この人たちは日本では渡来系弥生人と呼ばれています。

日本列島のD系統とO系統の分布を見ますと、
九州から遠ざかるほどO系統の比率が少なくなっていることから、
渡来系弥生人は九州から入って来たことが分かります。

*D系統の比率はアイヌで88%、琉球で65%でアイヌの方が多く残っているのは、
O系統の入った北部九州より遠いからだと思われます。

縄文時代は約1万年もあったのにも関わらず、
遺跡から争った形跡がほとんど無いことから、
縄文人は非常に平和的で温和な性格であったと言えるのです。

ところが弥生時代以降争いが始まり、
その後の様々な戦乱が起こったのは、
大陸から渡来した渡来系弥生人が関係していると見られるのです。

縄文人を特徴づけるY染色体D系統は大陸には見られず、
日本以外ではチベットの一部とインド洋のアンダマン諸島のみの、
わずかな地域にしか見られないのは、
好戦的な弥生人に駆逐されたと考えられるのです。

日本人は日本固有の温和な縄文人と後発の大陸系の好戦的な弥生人の混血です。
弥生人を侵略者だと定義すれば、
現在の日本は大陸系の弥生人による侵略が進行中だと言えるのです。

やがて縄文系が弥生系にすべて駆逐されれば、
本来の優しい縄文系の遺伝子は日本から失われてしまうでしょう。
その時は日本人がやさしい日本人では無くなる時なのです。

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