日本国内に邪馬台国と卑弥呼の伝説がない理由
2021/01/21
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日本国内には数多くの古代の出来事が伝説として残されています。
文字の無かった時代の日本人は、
当時の出来事を伝説や言い伝えの形で子孫に伝承してきたのです。
ところが不思議なことに邪馬台国と卑弥呼の伝説は、
日本国内のどこにも残っておらず、
隣国の残した魏志倭人伝にのみ記載されているのです。
日本の歴史学者の間で邪馬台国の実際の所在地について、
長い間論争を繰り返してきました。
魏志倭人伝の記録をもとに計測しますと、
はるか洋上に存在することになり、
日本国内に該当する場所がないことが分かったのです。
また戦乱は伝説として最も残りやすい出来事です。
なぜなら多くの人々が犠牲になって後々まで語り継がれるからです。
ところが30か国も争っていたという倭国大乱は全く伝説になっていないのです。
そのうえこの大乱を鎮めたという卑弥呼は古代の英雄のはずですが、
国内に一つも祀られた神社が存在しないのです。
通常ならこれで魏志倭人伝の記載は間違いだと認定するべきですが、
日本の歴史学者は魏志倭人伝に間違いがあるはずはないという前提で、
様々な説を唱えてきました。
代表的なものが九州北部説と畿内説です。
様々な理屈をつけて論争を繰り返してきたのです。
それぞれの説にはもっともらしい理屈が付けられていますが、
決定的な証拠がないために今なお決着していないのが実情です。
しかしここで冷静に考えてほしいのです。
そもそも邪馬台国と卑弥呼は実在していたのか?
魏志倭人伝の記載に間違いはないのか?
というそもそも論です。
日本人は文字の無い古代の出来事は、
最初に書きましたように伝説として残してきました。
日本各地に数多くの伝説が存在するのはこのためです。
その伝説が邪馬台国と卑弥呼に対しては全くないのです。
私がもう一つ心に引っかかっているのは、
邪馬台国と卑弥呼に使われている漢字です。
邪馬台国の邪は邪道という言葉があるように道に外れているという意味で、
卑弥呼の卑は卑劣という言葉で分かるように劣って卑しいという意味です。
このような悪い漢字を国の名前や支配者に付けるでしょうか。
*魏志倭人伝に記載されている日本の小国の名前に『邪』の他に『奴』もよく使われています。
『奴』は奴隷という字でも分かるように下っ端というような非常に蔑んだ漢字です。
日本人が自分の国にこのような漢字を付けているはずはありません。
その時点で魏志倭人伝の記述を疑うべきではないでしょうか。
そのようなことを総合的に考えますと、
そのような国は魏志倭人伝の創作で、
元々日本には存在しなかったと考えるのが普通です。
中国皇帝が日本の使者の言う大和国(やまとこく)を(やまたいこく)と聞き違え、
わざと日本を蔑むために邪や卑という悪い漢字を当てたのではないでしょうか。
いくら文字で記録されているからと言って、
それが絶対だとするような考え方は、
あらゆる可能性を考慮すべき研究者の正しい姿勢ではありません。
もし日本国内に中国に使者を送るほどの大国が存在したなら、
土地の人はかならずそれなりの伝説や言い伝えを残すはずです。
歴史と認められていない神武東征でさえ、
広域にわたって数多くの伝説が残されているのです。
歴史学者は残された記録を100パーセント信用するのではなく、
その記録が総合的に考えて合理的なものであるかを判断すべきではないでしょうか。
以上の理由から、
私は邪馬台国と卑弥呼の存在はとても合理的に説明できるものではないと考えています。
*よく歴史学者は伝説は信ぴょう性が無いと言います。
しかし何もないものを伝説として残すとは思えないのです。
一方日本国内にその伝説すらない邪馬台国と卑弥呼を歴史として認めているのです。
私は他国の書いた魏志倭人伝の記述の方がよほど信ぴょう性が低いと考えています。
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