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究極の観音信仰とは何か

      2021/01/21

≪情報メディア発信局へようこそ≫

観音信仰はただ観音様に感謝し手を合わせることだと思っていませんか。
そうではありません。
最も観音様が望まれておられることをする。
これが究極の観音信仰です。

信者にとって観音様は理想のお母様です。
いつも傍にいて私たちをやさしく見守ってくださっています。
そんなお母様に私たちはどうすれば恩返しができるでしょうか。

お母様の望まれておられることはただ一つです。
それは私たちの笑顔です。

一般に母親はいつも子供の幸せを願っています。
子供が健康で幸せに生きることが母親の最大の願いのはずです。
笑顔は幸せのサインですから母親を最もうれしい気持ちにさせます。

観音様は私たちの母親ですから、
私たちが健康で幸せに生きることが最大の願いのはずです。

私たちも観音様に恩返しをしましょう。
私たちが幸せに生きることが観音様への最大の恩返しなのです。

自分のためではなく、
観音様に恩返しをするために幸せに生きる。
これが信者としての究極の観音信仰なのです。

では幸せとは何でしょうか。

自分は貧乏。
容姿が悪い。
頭も悪い。
こんな自分が幸せになれるはずはない。
と思っている方はおられませんか。

幸せはこのようなこととは全く関係ありません。

幸せは心が作るものだからです。

どんな悪い境遇にあっても、
心が幸せと思えば幸せ。
どんな恵まれた環境にあっても、
心が不幸と思えば不幸。

境遇と心は自分の意思で切り離せるのです。

ある高僧の若いころの体験です。
結核で生死をさまよったとき、
自分は今まで不幸の連続だった。
自分はこのまま不幸なまま死んでいくのか。
病状は日に日に悪化したそうです。

ある日ふと気づきました。
まだ生きている。
生きるための空気が与えられている。
いや神様が与えてくださっている。
何とありがたいことか。

そう気づいた日から気持ちが明るくなり、
不思議なことに病状も改善していったそうです。

心は病気まで治すという、
正に典型的な事例でしょう。

若き日の高僧はただ気づいただけで、
境遇が変わったわけではありません。
幸せになれるかどうかは、
このような気づきができるかどうかで決まるのです。

幸せに生きることは、
境遇と心を切り離し、
生かされているだけでありがたいと気づき、
ただ自分自身に幸せだと言い聞かせること。
境遇を変える必要はないのです。

繰り返しになりますが、
幸福感を持つことはあなたのためですが、
それ以上に観音様のためでもあるのです。

観音様と一緒に生きていることをいつも意識しましょう。

   *観音信仰が身につきますと、
    一人でいても少しも寂しさを感じません。
    それは傍にいつも観音様がいるからです。
    もう一つ死の恐怖がありません。
    死ぬことは観音様の世界に行くことだと考えているからです。
    正に、
    生きるも死ぬも観音様と一緒
    ということです。

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