なぜ宮崎に天孫降臨の伝説が生まれたのか?
2025/02/24
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アカホヤの大噴火と縄文海進によって九州の人口は激減し、
多くの縄文人が朝鮮半島に渡ったことが土器の変遷で明らかになっています。
日向に住んでおられた天皇家も朝鮮半島に渡られ、
そこが高天原になったと考えられます。
弥生時代になって自然が回復したために多くの住民が戻ってきたことも、
出土した土器の年代が証明しています。
高天原に住んでおられた天皇家のご先祖(神)も元々のふる里である日向に戻られ、
天孫降臨の神話になったと考えられます。
降臨は3か所で行われました。
日向のニニギノミコト。
出雲のスサノウノミコト。
畿内のニギハヤヒノミコト。
です。
出雲ではスサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っているのに対して、
日向では天孫降臨すなわち天照大御神の孫が降臨されたという伝説になっているのです。
なぜ日向では降臨という言葉が使われているのでしょうか?
恐らく日向の住民は高天原が朝鮮半島だということを知らなかったのではないでしょうか。
現在は雨や雪が雲で造られることは常識で知っていますが、
古代の人は天に別の世界があってそこから降っていると信じていたのではないでしょうか。
なぜなら天上界という用語が存在しているからです。
立派な身なりで突然現れたニニギノミコト一行を見て驚き、
天から舞い降りたとしか思えなかったはずです。
降臨とは厳かな場所から舞い降りるという意味があることから、
降臨という言葉が使われたのではないでしょうか。
一方出雲は朝鮮半島から見れば対岸であり、
古来より頻繁な交流があったために、
朝鮮半島が高天原という認識があったことから、
降臨という言葉ではなく海を渡ってこられたという表現になったと考えられます。
天孫降臨は朝鮮半島から宗像に上陸してから日向に向かわれたはずですので、
最初に宗像に降臨されたはずですが、
宗像も古来より朝鮮半島と交流していたので、
降臨という言葉は残っていないのではないでしょうか。
宮崎が天孫降臨の地と言われるのは、
単に日向人が高天原が天上界にあると思いこんだことが、
天孫降臨が行われたという伝説が生まれたと考えられるのです。
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