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天孫降臨も神武東征も史実だった

      2018/07/03

古事記や日本書紀は多分にファンタジーな内容になっているため、
天孫降臨も神武東征も作り話だと思っている歴史学者が多いようです。
その証拠に歴史教科書に記紀が作られたという記述はあっても、
内容自体が歴史として取り上げられていないことからも分かります。

しかし日本各地に言い伝えが残っており、
もしこれらがすべて作り話だったとしますと、
作者が広域に渡って住民に対して、
つじつま合わせをお願いする必要があるはずです。

このような作り話に住民が同意し協力する必要性もなければ、
仮にあったとしても必ずそれを非難する住民も出てくるはずですので、
現実には広域に渡って伝説を創作するなどは不可能なはずです。

数年前に産経新聞の取材班が神武東征の足取りを追って、
各地に残る多くの伝説を検討した結果、
神武東征は間違いなくあったと結論付けています。

*一般に神武東征と言われていますが、
  岡田宮(北九州)に1年、安芸(広島)に7年、吉備(岡山)に8年滞在しています。
  このような長期滞在を東征と表現するのは疑問があります。
  国譲りで九州の東半分と中国地方は天孫族の領地になっていたはずですので、
  東に向かって拠点を移したと考えるのが正しいのではないでしょうか。
  争いは畿内に入ってからですので大部分を領地内を移動したと言うことでしょう。
  産経新聞の取材でも領地内ではもてなしを受けています。
  
次に天孫降臨を考えてみましょう。
天孫降臨の舞台は日向の高千穂の峰です。
神武東征が史実だったとすれば、
その4代前のニニギノミコトは日向におられたはずです。

ところが九州南部は鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火で、
約5000年に渡り住めない状態だったことが、
鹿児島で見つかった上野原遺跡の地層調査で分かっています。

その後天孫降臨が起こったと思われる時期から、
再び集落が形成されていることが分かったのです。

これは火山噴火で避難していた南九州の住民が、
自然が回復したために戻ってきたと考えるのが自然です。
この事実が天孫降臨として語り継がれたと考えられるのです。

天孫降臨が日向で起こったと言うことは、
もともと日向に住んでおられた天皇家のご先祖が、
火山噴火の影響のない場所に避難され、
自然が回復した為に日向に戻ってこられたとすれば、
避難先が高天原と言うことになります。

私の過去の一連の記事で詳細を述べていますので、
ここでは割愛させていただきますが、
結論としましては高天原は朝鮮半島で、
弥生時代になって耕作技術や自然環境の回復によって、
天皇家のご先祖であるニニギノミコトが日向に戻られた。
というのが真相のようです。

なぜ日本が葦原の中つ国と言われたのかや、
出雲にスサノウノ命は海を渡って来られたという伝説が残っているなど、
多くのことが説明できるからです。

また天孫降臨の実際のルートと考えられる、
朝鮮半島→宗像→鞍手→遠賀川→韓国岳→高千穂の峰→宮崎(日向)には、
天孫降臨に関係している地名や伝説が多く残されているのです。

これらを総合的に判断しますと、
天孫降臨も神武東征も史実と考えるべきだと判断されます。

産経新聞取材班が神武東征の調査を行ったように、
天孫降臨も是非調査してほしいと願っています。


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