皆既日食から高天原の位置や天孫降臨などの時期が分かる
2025/03/02
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私は何度か書いているように元々理系の研究者でした。
そこで今回は理系の感覚で、
皆既日食から天孫降臨及び初代天皇即位の年代などを計算してみました。
高天原で天の岩戸隠れが起こり、
世の中が暗闇に包まれたという神話が残っています。
これは当時起こった皆既日食ではないかと言われています。
近代の天文学の発達により、
皆既日食の時期とコースが正確に計算できるようになりました。
昼間に皆既日食が起こった場所が分かれば、
そこが高天原であった可能性が高く、
天孫降臨などのおよその時期も計算できるはずです。
では具体的に考えてみましょう。
弥生時代に日本周辺で起こった皆既日食の時期とコースは次の通りです。
53年 九州ー中国地方
158年 朝鮮半島ー中国地方ー四国
247年 朝鮮半島南部ー中国地方(日没後)
248年 能登半島ー関東北部
(国立天文台より)
まず分かることは、
これらのコースから外れている場所には高天原は無かったということです。
(候補の一つと言われている近畿地方や富士山山麓は入っていません。
そもそも近畿や富士山山麓から日向に降臨すること自体おかしいですから当然だと思われます。)
また、九州や中国地方は高天原では葦原の中つ国と呼ばれていたわけですから、
そこが高天原だったとは考えづらいはずです。
(主張されてる方はおられますがーー)
結局高天原の場所は朝鮮半島か関東北部ということになります。
(関東北部は茨木周辺と主張されている方がおられます)
そこで皆既日食が起こった時期は、
1.朝鮮半島説だと158年か247年
2.関東北部説だと248年
に絞られます。
天照大神が30歳前後の時に天の岩戸隠れをされたと仮定します。
また天孫降臨は孫を降臨させたことから、
その時、天照大神は60代以上の高齢だったはずです。
すなわち天の岩戸隠れの30年後に天孫降臨が行われたことになりますので、
1.朝鮮半島説だと、
158+30=188(2世紀末)
又は、
247+30=277(3世紀末)
2.北関東説だと、
248+30=278(3世紀末)
となります。
3世紀末は完全に古墳時代に入っていますので、
少し遅すぎる気がしますので、
個人的には2世紀末ではないかと考えています。
もしそうなら高天原は朝鮮半島にあったことになります。
*魏志倭人伝に朝鮮半島南部には倭人が住んでいたと書かれていますので、
それが高天原だったのではないでしょうか。
神武天皇が即位したのは紀元前660年と言われています。
天孫降臨はこれより前に行われたはずですので2世紀末はおかしいはずです。
これは当時の2倍歴すなわち1年を2年として勘定したためで、
修正して実際の年代に直せばおかしな数字ではないはずです。
そこで神武天皇からの系譜を見ますと、
仁徳天皇までは2倍歴が使われたと考えられ、
仁徳天皇の1代後の履中天皇以降は、
約100年間に7~8名の交代があります。
すなわち7~8名が1世紀を担っていることになります。
履中天皇は17代ですので、
神武天皇から履中天皇まで約2世紀ということになります。
履中天皇は5世紀前半の天皇ですので、
神武天皇は2世紀前の3世紀前半ということになります。
ニニギノミコトから神武天皇のまでの期間を引きますと、
天孫降臨の2世紀末というのはほぼ計算が合うことになります。
結果として整理しますと、私の計算ではおよそ次のようになります。
天の岩戸隠れーーー2世紀半ば(158年:皆既日食)
天孫降臨ーーーーーー2世紀末
神武東征と即位ーーー3世紀初め
3世紀末ーーー孝元天皇 8代
4世紀末ーーー 仁徳天皇16代
いかがですか?
うまく天皇の系譜と繋がっています。
これほど合うとは私自身が驚いています。
この計算が正しければ、
神武天皇が即位された年代の紀元前660年は間違いで、
2倍歴を修正すると実際は3世紀初めだったということになります。
3世紀中ごろから古墳時代に入りますので、
感覚的にも妥当な年代ではないでしょうか。
*2倍歴以外に3倍歴や4倍歴を主張する意見もありますが、
神武東征時の年齢が45歳という記録があることから、
2倍歴では22、3歳
3倍歴では15歳、
4倍歴では11歳
となるため、3倍歴や4倍歴では東征するには幼すぎるのではないでしょうか。
*弥生時代の平均寿命は30歳代と言われていますので、
2倍歴として寿命を半分にしても長すぎるのではという意見がありますが、
天皇家は庶民より栄養状態がいいはずですので、
庶民より長寿だった可能性は高いのではないでしょうか。
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