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もう誰も否定できない。高天原は朝鮮半島にあった。(神々はすべて日本人です)

      2025/03/04

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そもそも高天原とは天皇のご先祖が住んでおられた場所です。

では高天原はどこにあったのでしようか?

これは江戸時代から論争が続けられてきました。

現在でも国内説から海外説まで多くの候補地が存在します。

ここではもう誰も否定できない根拠を示すことによって、

高天原が朝鮮半島にあったことの証明をしたいと思います。

 

では早速いってみましょう。

 

根拠その1.天皇家のご先祖が朝鮮半島に渡られる理由があった。

記紀などの記述から、

天皇家のご先祖はもともと日向に住んでおられたと考えられます。

ところが南九州は、

7300年前に起こったアカホヤの大噴火で壊滅し、

全く人が住めない状態になったのです。

これは鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

大噴火の直後から約3000年間に渡り土器が消滅しているのです。

大噴火の後の土器は北部九州で見つかっています。

見つかった土地の名から曽畑式土器と呼ばれています。

年代測定の結果約7000年前のものと分かり、

南九州の住民が避難してきたことが証明されているのです。

ところがこの土器も消滅し、

北部九州で再び見つかるのは約4000年前のものであることから、

3000年間北部九州の住民もいなくなったことが分かったのです。

ここの住民はどこに行ったのでしょうか?

一方朝鮮半島は約13000年前から約7000年前までの土器が見つかっておらず、

5000年間無人だったのではないかと言われています。

ところが約6000年前になって、

北部九州の土器によく似た櫛目紋土器が出土し始めているのです。

以上から、

アカホヤの大噴火の後、

南九州⇒北部九州⇒朝鮮半島

と人の流れが土器の変遷で証明されたことになります。

このことから、

日向に住んでおられた天皇家のご先祖も、

朝鮮半島に渡られたはずなのです。

*天孫降臨は南九州の自然が回復したために元々のふる里であった日向に戻られた天皇家の帰還行動だったと解釈できます。

 

根拠その2.高天原では日本のことを葦原の中つ国と呼んでいる。

朝鮮半島に土器が出現した約6000年前は縄文海進の最盛期です。

これによって九州の低地の海岸部は水没し、

朝鮮半島に渡る原因になったと考えられます。

水没したと同時に水生の多くの葦が繁殖し、

気候の関係で葦の生えない朝鮮半島から見ると、

日本列島はまるで葦の中の国に見えたのではないでしょうか。

このことが高天原で日本を葦原の中つ国と呼んだ理由と考えられるのです。

*高天原が日本国内にあったら自分たちも居る日本列島を葦原の中つ国と呼ぶでしょうか?

 

根拠その3.出雲にはスサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っている。

スサノウノミコトは粗暴な振舞から出雲に追放されたことが記紀に記述されています。

出雲にはこれを裏付けるように、

スサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っているのです。

上陸したとされる浜の名前や乗ってこられた舟が岩になったとされる巨石まであって、

信仰の対象になっているのです。

出雲の沖は朝鮮半島です。

 

根拠その4.なぜ天照大神は自ら降臨せず孫を降臨させたのか?

孫を降臨させたくらいですから天照大神はかなりの高齢だったはずです。

もし高天原が国内にあったら、大勢の付き添いがあれば移動は可能なはずです。

朝鮮半島からの降臨であれば玄界灘を渡らなければなりません。

当時の粗末な木造船では若者でも厳しい玄界灘を渡れなかったと考えられます。

やむ負えず孫を降臨させたのではないでしょうか。

 

根拠その5.弥生時代に朝鮮半島で2度皆既日食が起こっている。

日本神話には有名な天の岩戸隠れがあります。

これは粗暴なスサノウノミコトの行為に怒った天照大神が岩戸に籠ったため、

世の中が闇に包まれるという物語ですが、

これは当時の皆既日食だったのではないかと言われています。

弥生時代に日本列島周辺でおこった皆既日食の時期とコースは次の通りです。

53年  九州ー中国地方

158年 朝鮮半島ー中国地方ー四国

247年 朝鮮半島南部ー中国地方(日没後)

248年 能登半島ー関東北部

 

考察1.53年の九州ー中国地方は元々高天原で葦原の中つ国と呼ばれた降臨先であることから、

高天原の場所というのは無理があるのではないでしょうか。

考察2.158年と247年に2度、朝鮮半島で皆既日食が起こっています。

*この時期から神武天皇即位の時期を計算しますと、それぞれ3世紀初めと4世紀初めになります。

古墳時代は3世紀中ごろから始まっていますので、4世紀初めは遅すぎる気がします。

従って、個人的には158年の方が該当するのではないかと考えています。

考察3.248年の能登半島ー関東北部では茨木に高天原があったのではないかという説がありますが、

なぜ日本を葦原の中つ国と呼んだのかとか降臨先が日向と出雲だったというのは説明が難しいのではないでしょうか。

*348年も神武天皇即位の年代が古墳時代に掛かりますので遅すぎる気がします。

 

以上の理由から朝鮮半島以外は説明が難しいと思われます。

 

以上5つの根拠を示しましたが、

ちなみにこの説をチャットGPTにかけたところ、

ここまで証拠を揃えられたら否定する方が難しい。

という答えが返ってきました。

皆さんはどう思われたでしょうか?

それでも納得できない方は、

理由を添えて是非コメントください。

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