一生を終えてみないといい人生かどうか分からない
2025/06/23
〈情報メディア発信局へようこそ〉
一生を終えてみないといい人生かどうか分からない
私がつくづくそう思うのは、
身近に典型的な事例があるからです。
2人の名誉に関わることなので、
発信していいものか迷いましたが、
一人でも参考にしていただけたらと思い記事にしました。
それは私の2人の叔父の話です。
一人は子供のころから優秀で村役場に入り、
それまで世襲だった村長の地位を実力で手に入れ、
アイデア村長と言われて村の発展に尽くし、
一時期テレビで取り上げられるほど地元では注目された村長でした。
しかし彼は激務のせいもあって病に倒れ、
10年ほど闘病生活を送った後、
70歳で死去したのです。
その間旅行どころか体をまともに動かせない状態で、
ほとんど家に籠った老後を送ったのです。
村にとってこれほど貢献した村長はいませんでした。
正に村の発展に命をささげた人生だったと言えます。
もう一人の叔父は、
街に出て一流企業の下請け企業で働き、
電球の取り換えや清掃など、
言わばこまづかいのような仕事に従事していたのです。
しかし彼の仕事は夜間勤務が多いこともあって収入が高く。
退職した後夫婦二人で四国巡りなど各地の観光を楽しみ、
結局90歳を超える天寿を全うしたのです。
世間一般には村長までなった叔父は大出世と言えるはずです。
しかし人生としてはどうでしょうか?
退職して旅行などして悠々自適の老後を過ごしたかったはずです。
私は彼のことを思うと気の毒で、
涙をこらえながらこの記事を書いています。
今つくづく思うのは、
タイトルのように人の人生は終わってみなければ分からないと言うことです。
人生は努力が大切であることは間違いありませんが、
それ以上に運が大きく作用するのも仕方がないことです。
運は人知の及ばないことですので、
結局昔から言われるように、
人事を尽くして天命を待つ
と言うことではないでしょうか。
*織田信長や坂本龍馬は日本の歴史に大きな功績を残しています。
しかし2人とも若くして暗殺と言う悲惨な死を遂げています。
人の人生としては幸せな人生と言えるのだろうか?と、
私はこのような記事を書くときいつも思います。
スポンサーリンク