倭国大乱は本当にあったのか?
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古代日本は邪馬台国と卑弥呼から始まったことが定説になっており、
邪馬台国の実際の場所について未だに論争が続いています。
戦後80年たってもほとんど結論が出ていないのは、
私には不思議としか言いようがないのです。
しかし私がもっと疑問に感じるのは、
そもそも倭国大乱は本当にあったのかと言う議論がほとんどされていないということです。
魏志倭人伝によると倭国大乱を収めたのは邪馬台国の卑弥呼であり、
倭国大乱が無ければ邪馬台国と卑弥呼の歴史もありえないことになります。
では倭国大乱は本当にあったのでしょうか?
戦争が起こるとどんな証拠が残るでしょうか?
1、武器の破片
2、損傷人骨
3、破壊された建造物
などが見つかるはずです。
ところが日本国内にはほとんど見つかっていません。
確かに西日本の一部で数体の損傷人骨が見つかることがあります。
最も多いのが山陰の青谷上寺地遺跡で見つかった約100名の損傷人骨ですが、
遺伝子解析の結果ほとんどが渡来人だとわかったのです。
これは住民同士の争いではなく、
当時大陸で発生した秦の始皇帝から続く戦乱に巻き込まれた避難民だった可能性が高いのです。
では倭国大乱の証拠は無いのでしょうか?
環濠と高地性集落の存在がその証拠だと主張する人がいますし、
現状半分定説になっている感があります。
しかし集落通しの争いに住民が環濠や高地性集落を作るでしょうか。
もしそんな大規模な争いがあったのなら、
それこそ大量の武器の破片や損傷人骨が見つかってもいいはずです。
恐らく住民が、
大陸で起こった大乱が日本に波及することを恐れて防衛のために作られたと考える方が自然な気がします。
なぜなら大陸から遠い東日本にはほとんど作られていないからです。
そもそも30か国も争うような大乱があったなら、
どこかに伝承として残るはずです。
同時期と思われる神武東征のナガスネヒコとの戦いには、
伝承だけでなく、
戦死した長兄のイッセノミコトが祀られた神社まで作られているのです。
大乱は多く人が巻き込まれます。
被害を受けた住民は語り継ぐのが普通です。
一つも伝承が残っていないのはどうしてでしょうか。
伝承だけでなく考古学的証拠もない。
常識的に考えると無かったと結論付けられるはずです。
魏志倭人伝はかなり疑わしい記述が多くあります。
邪馬台国の位置が未だに確定していないのがその証拠ですが、
私には30か国の蔑称を含む名称と、
不自然な人口の記述に不自然さを感じて仕方ありません。
一度も日本に来ていないと言われている陳寿がなぜ人口まで把握できたのでしょうか。
魏志倭人伝で合っているのは北部九州のそれらしい国名だけ、
それ以外は全く曖昧なのです。
北部九州は恐らく大陸に渡っていた縄文人からの聞き取り調査だったと思われます。
それ以外の情報は得られなかったので想像で書いたとしか思えないのです。
倭国大乱を収めた邪馬台国と卑弥呼の歴史も、
伝承も考古学的証拠も出ない以上、
陳寿の創作と思われても仕方がないのではないでしょうか。
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