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古代の先進文明は中国から伝わったのではなく、 日本人自身が朝鮮半島に渡って作り上げたものだった?

      2016/09/24

朝鮮半島の古代遺跡から櫛目文土器が見つかっていることから、
古代朝鮮人は櫛目文土器の分布した遼河文明などとのつながりから、
ツングース又はウラル系民族が中心ではないかと言われているようです。

私は古代朝鮮人は基本的に九州から渡った縄文人で、
朝鮮半島は縄の材料となる葦の生育領域から外れているために縄を作ることができず、
仕方なく櫛で文様を付けたために櫛目文土器になったと考えています。

以下詳しく説明します。

韓国国立中央博物館から出されていた古代朝鮮年表を見ますと、
今から約12000年前から約7000年前までの約5000年間に渡って、
朝鮮半島では遺跡が見つかっていません。
これはその間朝鮮半島は無人だったことを表しています。

その後約6000年前から櫛目文土器が出土しているのです。
約6000年前は縄文海進の最も進んだ時期で、
海面が内陸に深く入り込み低地の村落は水没したと考えられます。

北部九州では佐賀の東名遺跡が泥に埋まった状態で見つかっており、
縄文海進が村落を水没させた状況をよく表しています。
私は村落の水没で住めなくなった九州の縄文人が朝鮮半島に渡ったと考えています。

福岡市埋蔵文化センターと海の道宗像館の2か所で縄文土器の年代を調べますと、
九州ではこの時期の土器だけが見つかっていないことが分かったのです。
土器は生活の必需品ですので人が住んでいれば必ず作られていたはずで、
見つからないということは九州の縄文人がいなくなったことを示しています。

この時期から朝鮮半島で櫛目文土器が出土し始めているということは、
北部九州の縄文人が朝鮮半島に移り住んだと考えるのが自然です。
この時代の丸木舟が半島南部で出土しているのです。

はじめに書きましたように、葦は温帯から熱帯にかけてが生育域ですので朝鮮半島は外れており、
縄が作れなかったため仕方なく櫛で文様を付けた結果、
遼河地方で作られていた櫛目文土器と類似したのではないでしょうか。

私は専門の研究者ではありませんので、
遼河文明とのつながりがどの程度あるのかは分かりませんが、
少なくとも以上述べたように、
縄文人が九州から渡る必要性と証拠は十分あったことだけは確かなようです。

その後縄文海進が収まり海水面が現在と同じになった約3000年前までに朝鮮半島に渡っていた縄文人が帰還し、
朝鮮半島で培われた日本人の手による先進的な文明が本土に持ち込まれたために、
これまで言われていたように高度な文明が大陸から伝わった、
という歴史認識になったのではないでしょうか。

もし以上の解釈が正しければ、
高度な文明は朝鮮半島に渡った日本人自身が作り上げたものだったということになりますが、
皆さんはどう思われましたか?

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 - 古代日本史, 歴史