国譲りの疑問(強大な出雲族がなぜ天孫族に国を譲ったのか?)
国譲りの神話は古事記や日本書紀の中で、
天照大神の命令で出雲の大国主命が日向のニニギノミコトに、
神殿建設を条件に国を譲るという物語です。
神話の中の物語ですので、
長い間単なる作り話と思われていました。
ところが実際に出雲で国譲りの条件として建造されたと思われる、
巨大な神殿の柱の跡が見つかったのです。
これによって国譲りは史実ではないか、
と言われるようになったのです。
もしそうだとすると、
国譲りを演じた天照大神も大国主命もニニギノミコトも、
実在の人物だったということになります。
しかしここで疑問が出てきます。
出雲を拠点とした出雲族と日向を拠点とした天孫族の力関係です。
出雲族が天孫族に国を譲ったのですから天孫族のほうが出雲族より強大だったということになります。
しかし遺跡を見ると領土の広さや武器の数などから見て、
国を譲らざるを得なかったほど天孫族のほうが強かったとは思えないのです。
この理由は何だと思われますか?
私は次のように解釈しました。
出雲に降臨したスサノウの命は天照大神の弟です。
そのスサノウの命の息子(子孫という説もある)の大国主の命が
強大な出雲の国を建国したのです。
一方日向の国を統制したニニギノミコトは天照大神の孫です。
お分かりになりましたか?
ニニギノミコトの天孫族は本家。
大国主命の出雲族は分家。
という関係になります。
今は本家と分家は意識されませんが、
昔は本家の権限は絶対で、
分家は本家の意向には逆らえなかったのです。
分家である出雲族は強大な国つくりを実現したにもかかわらず、
本家である天孫族の命令には逆らえなかったのではないでしょうか。
大国主は二人の息子に判断をゆだねますが、
結局国譲りを決断することになったのです。
天孫族はこれによって九州の東半分と中国地方の広大な領土を手に入れたことになり、
ニニギノミコトの4代後の神武天皇はほとんどが領地内を通ったために、
東征が容易に実現できたのではないでしょうか。
未だに日本神話は作り話だと信じて疑わない歴史学者がおられますが、
いろいろ調べますとだんだんつじつまが合ってきて、
単なる作り話ではないという確信が強まっています。
国譲りの神殿跡が見つかった以上単なる作り話でかたずけるのではなく、
実際はどのような歴史があったのかを真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか。
突然ゼロから大和朝廷が出現したわけではなく、
縄文時代からの歴史の流れで出現したわけですから、
神話を作り話と決めつけるのではなく、
神話の時代に実際に何が起こったのかを真剣に議論してほしいと願っています。
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