古代における天皇家の真の歴史
2016/10/07
天皇陛下は天皇家が世界最長の歴史を持つため、
ローマ法王と並ぶ世界で最も地位が高い存在と言われています。
しかしその歴史は文字のない神話の世界にまで遡るため、
古事記と日本書紀の神話から推測するしかありませんでした。
ところが鹿児島の上野原遺跡の地層調査で、
天皇のご先祖がおられたと考えられる日向が、
アカホヤの大噴火で壊滅的な被害を受けたことが分かり、
その後の天皇家のご先祖の足取りを推測しますと、
古代における天皇家の歴史が見えてくるのです。
ここではもともと天皇家の故郷が日向であったことを前提に、
その後の足取りを推測することによって、
天皇家の真の歴史に迫りたいと思います。
今からおよそ7300年前、
鹿児島の硫黄島ですさまじい海底火山の大噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火です。
この痕跡は日本中に残されており、
鹿児島で発見された上野原遺跡の地層調査から、
南九州では最大1mの火山灰が降り注いだことが分かりました。
当時住んでいた縄文人は被害の少ない北部九州に移動したはずです。
日向に住んでおられた天皇家のご先祖も例外ではなく、
北部九州の宗像市を中心とした一帯に生活の場を移されたと考えられます。
これは天祖と言われる天照大神の3姉妹が祭られている宗像大社の存在、
両親である伊邪那岐、伊邪那美などを祭ってあると言われる八所宮の存在、
さらには天皇家の墓と言われる前方後円墳がこの地に数多く密集しているなど、
宗像市は天皇家との関連が最も深い地域だと考えられるからです。
ところが今から約6000年前になると、
今度は縄文海進によって村落が水没し生活が出来なくなってしまいます。
これは泥に埋まった状態で見つかった佐賀の東名遺跡が、
当時の縄文海進の恐ろしさを如実に物語っています。
宗像でも住めなくなった天皇家のご先祖は当時無人だった朝鮮半島に渡られたと考えられます。
九州ではこのころの縄文土器だけがほとんど出土しておらず、
代わりに朝鮮半島からよく似た櫛目文土器が出土し始めているからです。
縄の材料となる葦の生育領域は温帯から熱帯の湿地帯であるため、
朝鮮半島はその領域から外れており、
縄が作れなかったためしかたなく櫛で文様を付けたのではないでしょうか。
天皇家の移住先は半島南西部と考えられます。
後の百済と天皇家の同族としか思えない緊密な関係は、
この地が天皇家のご先祖が拠点にした場所だったからに他なりません。
今から約3000年前になると縄文海進とアカホヤの大噴火による自然が回復し、
朝鮮半島に渡っていた九州の縄文人たちは本土へ帰還したのではないでしょうか。
これは上野原遺跡でアカホヤの大噴火で消滅していた集落跡がこのころから再び出現していることと、
北部九州で無くなっていた縄文土器が再び出現していることがそれを物語っています。
朝鮮半島の天皇家の支配者が天照大神だった時、
本土への帰還を決断され、
孫のニニギノミコトを故郷である日向に降臨させたと考えられます。
文字のなかった時代ですので天孫降臨の伝説として語り継がれたのではないでしょか。
天照大神はニニギノミコトに葦原の中つ国を治めるように命じています。
日本の海岸部は縄文海進によって葦が密集しており、
朝鮮半島から見て日本は葦の中に浮かぶ国に見えたのではないでしょうか。
ニニギノミコトの前にスサノウの命が出雲に降臨しており、
その子である大国主命が巨大な出雲の国を建国するのです。
出雲にはスサノウノ命が海を渡ってこられたという伝説が残っており、
その時の船が石になったと言われる舳先状の石が信仰の対象になっています。
ニニギノミコトに話を戻しますと、
ニニギノミコト一行は宗像市付近に上陸したあと、
陸路を猿田彦の道案内で日向に向かったと考えられます。
宗像市から鞍手へ向かうところに猿田峠があり途中に猿田彦を祭ったと思われる豊日社があり、
さらにその先の遠賀川沿いにも猿田彦神社があるのは、
ここが一行のルートだった可能性を物語っているのではないでしょうか。
ただ猿田彦を祭った神社は他にもたくさんありますのでこれだけでは証拠にはなりませんが、
総合的に見てここがルートであった可能性は高いと見られます。
さらに日向に入るとき高千穂の峰を越えますが、
先に帰国していた日向の住民は着飾ったニニギノミコト一行の出現に驚き、
まるで天から舞い降りたとしか思えなかったのではないでしょうか。
その後天照大神の命令で大国主命からニニギノミコトへ国譲りが行われますが、
それにより日向の天孫族は九州の東半分と中国地方の広大な領土を手にしたことになり、
4代後の初代天皇である神武天皇の東征を容易にしたと考えられます。
神武天皇の東征によって大和朝廷が作られ、
その後の日本武尊の熊襲征討と東国征討によって、
大和朝廷による全国統一がなされたということになります。
恐れ多くも勝手に古代における天皇家の歴史を推測させていただきましたが、
私自身は心から天皇家を敬愛している身であることを、
ここに書き添えさせていただきます。
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