遺伝子と地層が語る古代朝鮮半島の真の住民
人間の手で作られた歴史書は時の権力者が都合よく記述した可能性があり、
史実と異なることがないとは言えません。
それに対し遺伝子や地層に残る人類の痕跡は、
ごまかしのない歴史の真実を記録していることから、
それらをしっかりと分析することによって、
歴史の真実が明らかにできるのです。
ここでは古代における日本と朝鮮半島で何が起こったのかを、
遺伝子と地層に残された痕跡によって解明したいと思います。
まず現在の日本人と韓国人の遺伝子関係ですが、
男の遺伝子と言われるY染色体の違いから男は違う人種であるのに対し、
女の遺伝子と言われるミトコンドリアDNAがほぼ同じ(特に九州人)
であることから女は同じ人種と見ることができます。
いまここで古代朝鮮人が全く日本人と違う人種だったと仮定しましょう。
すると当然ですが男も女も遺伝子が違っていたはずです。
女の遺伝子に着目してください。
古代において違っていた遺伝子が、
現代になって同じになったということです。
このようなことが起こるでしょうか?
同じだったものが時の経過とともに違ってくることはあるかもしれません。
しかし違っていたものはいくら時が経過しても、
同じになるはずはありません。
このことから古代朝鮮の住民と日本人が違う人種と仮定したことは、
間違いということになります。
結局現代の日本人と韓国人の遺伝子関係になるには、
古代の朝鮮半島の住民は日本人と同じ遺伝子をもっていた、
すなわち同じ日本人通しだったはずだということです。
次に地層の痕跡すなわち遺跡から検討しましょう。
佐賀県で泥に埋まった東名遺跡が発掘されました。
約7000年前のもので当時の生活がそのまま残っていることから、
非常に貴重な遺跡とされています。
これは海水面が上昇して村落が水没したために起こったと解釈され、
縄文海進による影響と考えられます。
縄文海進は約6000年前をピークとして海面上昇によって内陸部まで海が入り込み,
現在の平野部はこの現象で作られたことが分かっています。
当然低地の村落は水没します。
その証拠の一つとして、
東名遺跡が当時の悲惨な状況を表しているのです。
このころの縄文土器が九州では極めて少なくなっており、
住民がどこかへ避難したことが考えられます。
ちょうどこの時期から朝鮮半島で、
北部九州の縄文土器と類似した櫛目文土器が出土し始めるのです。
これは九州の縄文人が、
縄文海進によって朝鮮半島に渡り住んだと考えられます。
韓国国立中央博物館に出されていた古代年表には、
約7000年前以前は朝鮮半島では土器が出土しておらず、
無人であったところに突然櫛目文土器が出現したことを、
裏付けているのです。
縄の材料である葦の生息域は温帯から熱帯にかけてですので、
朝鮮半島では自生できません。
すなわち、
朝鮮半島では縄が作れないため縄文土器が作れなかったのです。
仕方なく櫛で文様を付けたために櫛目文土器になったと考えられます。
以上のように遺伝子からも土器の年代からも、
九州の縄文人が朝鮮半島に渡ったと考えられるのです。
半島南西部つまり後の百済の地には十数基の前方後円墳が見つかっており、
内部が日本方式であったり人骨の遺伝子や頭蓋骨の形態が日本人であるなど、
半島の古代人は日本人であったという証拠が多く揃っています。
九州から朝鮮半島に渡った縄文人たちが後の百済、新羅、高句麗を作り、
互いに競い合ったため高度な文明が作られたと解釈されます。
日本との頻繁な交流があったにもかかわらず、
言葉の障害をにおわせる証拠が一切ないことは、
両者は日本人通しだったので当然だと言えるのです。
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