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古代天皇史の日向の国と出雲の国はどのような関係であったか?

      2016/03/14

ずばり日向の国が本家で出雲の国が分家の関係です。

詳しく説明します。
天皇の発祥の地は日向の国(宮崎)と言われています。
これは古事記や日本書紀の神話として宮崎の地名が多く出て来ます。
天皇のご先祖が代々住んでいた天皇の故郷でした。

ところが約7000年前鹿児島沖の硫黄島ですさまじい海底火山の大噴火が起こり、
南九州に人が住めないほどの大量の火山灰が降り注ぎます。
これは鹿児島の上野原遺跡の地層で証明されています。
当然天皇家のご先祖も日向の住民と一緒に北へ避難されたはずです。

韓国国立中央博物館の古代年表をみると、
当時7000年前の朝鮮半島は遺跡が出ておらず無人だったことを表しています。
そこで天皇のご先祖は多くの南九州の人たちに混じって朝鮮半島に渡られたと考えられます。
なぜならこの時代の丸木舟が半島南部で見つかっているからです。
天皇家のご先祖が定住した場所は後に百済となる半島の南西部でした。
これは後の百済王家と天皇家が親密な関係を持ったことから明らかです。

時が立つと日向の国も大淀川によって自然が回復しました。
人が生活できるまでになった頃、
支配者となっていた天皇のご先祖(天照大神)は日向への帰還を決意されたと考えられます。

そこで日向の実情を探るため孫のニニギノミコトを派遣されました。
天皇一族の突然の帰還は日向人には驚きだったはずです。
地図の無い時代ですので朝鮮の存在の分からない住民は、
天から舞い降りたとしか思えなかったのではないでしょうか。
これが天孫降臨として語り継がれたと考えられます。

このとき天照大神は乱暴者の弟のスサノウノ命には日向への帰還を許さず、
出雲行きを命じたと考えられます。
スサノウノ命は出雲を制圧しますが、
この時出雲の豪族たちの抵抗が八岐大蛇伝説として語り継がれたと考えられます。
出雲には尖った大きな岩が埋まっていて、
スサノウの命が海を渡ってきた舟が岩になったと言う言い伝えがあるそうです。

舟が岩になったというのはともかく舟で来られたと言う言い伝えは、
高天原であった百済(後に百済となった地)から舟で渡って来たことを裏付けるものだと考えられます。

その後大国主の命の時、神殿の建設を条件にニニギノミコトへの国譲りが行われますが、
争うことなく国を譲ったことは同族でないとありえない話です。
最近出雲で神殿跡が見つかったことはこの国譲りが史実であったことを物語っています。

以上から日向が本家、出雲が分家という関係にあることがお分かりになったと思います。

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