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北部九州の縄文人が朝鮮半島に渡った理由は葦にあった

      2017/04/20

朝鮮半島の古墳の内部は日本方式であり、
出土する人骨は形態学的にも遺伝子からも、
現在の韓国人より日本人に近いことが分かっています。

韓国国立中央博物館に出されていた資料では、
約6000年前以前の地層からは土器は見つかっておらず、
その直後の地層から、
北部九州の縄文土器によく似た櫛目文土器が出土し始めています。

これは無人であった朝鮮半島は、
約6000年前から人が生活を始めたと解釈され、
北部九州の縄文人が朝鮮半島に渡った可能性が高いと考えられるのです。
朝鮮半島は生息域が温帯から熱帯の葦は生息できず、
縄が作れなかったため櫛目文土器になったと解釈されます。

では約6000年前に縄文人が半島に渡らなければならない、
どのような理由があったのでしょうか。
実は縄文海進と言って海水面が上昇し、
海が内陸奥地まで入り込んで低地の村落は水没しました。
佐賀の東名遺跡が当時の悲惨な状況を表しています。

多くの住民は朝鮮半島に渡ったと考えられます。

しかしここで疑問が起こります。
縄文海進は朝鮮半島でも起こっているはずですので、
条件は同じではないかということです。

答えは葦にありました。
当時の住民は漁業を主たる生業にしていたはずです。
多くの漁具や貝塚が見つかっているからです。

当時の住民の身になってください。
丸木舟で漁に出かけるとき葦の茂みは相当な障害になるはずです。
日本の平野部はほとんど葦に覆われていたはずですので、
毎日葦をかき分けての漁は大きな負担になったはずです。

最初に書きましたように朝鮮半島は葦が生息しません。
漁に出る障害がないということです。
皆さんならどうしますか?
私なら無人の朝鮮半島に移りますよ。

当時の縄文人の多くも、
容易に海に出れる利便さから朝鮮半島に渡ったのではないでしょうか。

また葦の茂みは岩場を消滅させ、
そこに生息する海藻や貝類を消滅させたと考えられます。
海藻や貝も重要な食材ですので、
葦のない朝鮮半島の方が容易に食材が手に入ったのではないでしょうか。

その後朝鮮半島では百済、新羅、高句麗が作られますが、
大和朝廷との間で頻繁な関りがあったことが分かっています。
ところが言葉の障害をにおわせる資料が一切出ていないのです。

古墳の内部が日本方式であったことや、
人骨の形態や遺伝子が日本人に近かったことなどを総合的に考えますと、
やはり朝鮮半島は日本の一部であったと考えるのが妥当と思われます。

現在の教科書は渡来人という表現でも分かるように、
日本人とは異なった民族であったという前提になっているようです。

日本人のルーツを考えるうえでも、
古代朝鮮半島の住民が日本人であったのか、
そうでなかったのかは最も基本的なことですので、
大いに議論がなされるべきだと思いますが皆さんはどう思われるでしょうか。

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