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親が子供に聞かせてやりたい話 その7

      2017/05/05

今回は子供にまつわる2つの話です。
子供と言っても決してあなどれないという話と、
あなどったためにひどい目にあったと言う話です。

話その1.あなどれない話

豊臣秀吉が天下人になったある日、
恒例の鷹狩の後とある古寺に立ち寄り主人にお茶を所望しました。
住職の指示で年端もいかぬ小坊主が奥からお茶を持ってきて、
秀吉に差し出しました。
秀吉は一口飲んで非常にぬるいことに気付きました。
一気に飲み干すともう一杯くれるよう頼みました。
小坊主はすぐに二杯めのお茶を持ってきましたが、
こんどのお茶は最初のお茶に比べ遥かに熱かったのです。

秀吉はさらにもう一杯要求しました。
最後のお茶はふーふーと息で冷ましてでないと飲めないほど、
熱かったのです。

秀吉は不思議に思い、なぜこのような入れ方をしたのか尋ねました。
すると小坊主は次のように答えました。

『初めにお武家さまをお見受けした時、
大変のどが渇いておられたようなので、
一気に飲めるようにぬるいお茶をお持ちしました。
二度目はある程度のどの渇きが収まられたようですので、
少し熱めのお茶にしました。
最後はもう十分のどの渇きが無くなられたようですので、
お茶を本来の形でお入れしました。』

と答えたのです。
秀吉は感心し、
住職に教わったのかと聞くと小坊主は自分で考えたと答えます。
秀吉はますます感心し、
相手の状態に合わせてもてなすという茶の湯の本道を、
このような小さな子供から教わるとは思わなかったと言い、
小坊主を城に召し抱えました。
この小坊主が後の石田三成だと言われています。

話その2.あなどったためひどい目にあったという話

ある小さな村に個性の強い男の子がいました。
同年代の子供たちの間では人気があったのですが、
大人たちの間には生意気な子と嫌う者が多かったのです。

特に担任の教師は事あるごとに厳しく接しました。
それは教育的な愛情からきたものではなく、
多分に感情的な嫌悪感からきたものだということが、
男の子にもよく分かりました。

ある時、教師として決して言ってはいけない言葉を浴びせたのです。

「貧乏人のくせに」

という言葉でした。

母親を早くに亡くし、
しかも経済的に豊かでなかったことに、
日ごろからさみしさと劣等感を持っていた男の子は、
くやしさの余り泣きながら教室を飛び出し、
心の中で貧乏がなぜ悪いか、
貧乏は自分のせいでは無いのにと何度も呟きました。

成績が良かった彼はその後成長して村役場に入り、
出世して総務課長までなりました。
さらにそれまで世襲だった村長のポストを実力で手に入れたのでした。

村長になっても、
貧乏人のくせにと言われた悔しさを忘れてはいませんでした。

小さな村では村長は絶対的な権力を持っています。
貧乏人呼ばわりした担任の教師はすでに退職していましたが、
非常に肩身の狭い老後を送るはめになったのです。

相手が子供だと思いうかつな扱いをすると、
このような目に会うかも知れない。
という私の村で実際に起こった話です。


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