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世の中における天才と秀才の役割

      2016/06/29

歴史を見てみますと、
世の中の変革期には秀才はほとんど役に立っていないように見えます。
例えば明治維新の場合です。
土佐の武市半平太と長州の久坂玄瑞は共にまれにみる秀才だったようです。
しかし2人とも明治維新にはほとんど役に立っていません。
それに対し、
明治維新を主導し成功に導いた坂本龍馬と西郷隆盛は秀才という評価からは程遠い印象を受けます。

なぜ秀才は活躍できなかったのか。
私は秀才はその時代の常識を人一倍理解しているために常識に捉われすぎて、
変革にはマイナスに作用したのではないかと考えています。
事実、武市半平太は土佐藩を捨てきれず、あくまで藩と言う体制にこだわり、
結局藩主である山内容堂により切腹させられてしまいます。

一方龍馬は早々と藩に見切りをつけて脱藩しました。
当時の常識では藩を盛り立てて倒幕に持っていく半平太の考えは全く常識的で、
龍馬のとった脱藩と言う手段は非常識の極みだったのです。

結果的に世の中の体制は常識的な行動では変えられなかったと言うことでしょう。
それに対して龍馬は薩長同盟や大政奉還さらには明治憲法の基礎となる船中八策の発案など、
当時の秀才にはとても不可能としか思えないことをやっています。

龍馬のような天才肌の人物ははじめはなかなか凡人には評価されません。
むしろ鈍才と見られる傾向にあるようです。

今では天才中の天才と言われている織田信長もそうです。
信長も若い頃はうつけと言われていました。
うつけとは救いようのない愚か者という意味です。
信長の非常識な行動は一般の人にはうつけと見えたのでしょう。
若き日の信長を天才と見抜いていたのは隣国の斎藤道三などごく一部の人だったようです。

信長は経済の改革や鉄砲を使った戦争のやり方など従来の常識をことごとく変えました。
世の中の変革期には龍馬や信長のような常識破りの発想を持った天才が必要だったと言うことです。

しかし世の中が落ち着き体制固めを必要とするときは天才型の人間は逆に害になります。
常識的な秀才が役に立つのです。
徳川家康や大久保利通がこれに当たります。
変えることよりいかに体制を盤石にするかを考えれば良いからです。
そこには斬新な発想はいりません。
みんなが納得できるような常識的な政策が必要だからです。
人は基本的に保守的で余程経済的に追い詰められない限り変革は望まないからです。

変革期には天才が、安定期には秀才が役に立つ。
というのが正解のようです。

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