火山の噴火と縄文海進が日本の歴史に与えた影響
古代日本の歴史で史実とされているのは、
中国の魏志倭人伝や日本の古事記と日本書紀などに記述されている文献が基になっています。
文字のないはるか昔の出来事は各地に残る伝説がベースになった神話から推測するしかありません。
日本神話は多分にファンタジーな内容であるために、
その真偽については様々な解釈が存在するのが現状です。
歴史を探る手段としては文献のほかに、
遺跡の調査や遺伝子の解析という方法があります。
文献は権力者や勝者による体制側から書かれることが多く、
客観的な史実を見極める必要がありますが、
遺跡や遺伝子は研究者の意図的な捏造が無い限り、
信頼できる一次資料として貴重な情報を得ることができます。
ここでは現在見つかっている遺跡から、
古代日本で何が起こったのか考えてみることにします。
縄文初期の約7300年前、
鹿児島沖の硫黄島ですさまじい海底火山の大噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤ大噴火です。
この痕跡は日本中に残されていて、
特に南九州に最大1mもの地層を作るほどの大量の火山灰が降り注いだことが分かっています。
これにより当時住んでいた九州南部の縄文人に壊滅的な被害を与え、
多くの住民は被害の少ない北部九州に移住したと考えられます。
これは鹿児島で見つかった上野原遺跡の地層調査で明らかになりました。
アカホヤ火山層の後それまであった集落跡が消滅しているからです。
その後約3500年前の地層から再び集落跡が見つかっていますので、
九州南部はおよそ4000年もの長きにわたり人が住めない状態だったと考えられます。
九州北部に移住した縄文人は今度は縄文海進による集落の水没という災禍に見舞われます。
これは佐賀の東名(ひがしみょう)遺跡が泥に埋まった状態で発掘され、
当時の集落が水没した状況を物語っています。
縄文海進が最も大きかった約6000年前より以前は、
朝鮮半島は遺跡が見つかっておらず無人だったと解釈できます。
(韓国国立中央博物館の古代年表より)
そのあと北部九州の縄文土器と類似した櫛目文土器が出土し始めるのです。
これは集落の水没で住めなくなった北部九州の縄文人が朝鮮半島に移り住んだと考えるのが自然です。
当時の丸木舟が半島南部で出土しているのです。
彼らは後の百済、新羅、高句麗を作り、
互いに競い合って高度な文明を作り上げたと考えられます。
その文化が本土日本に伝わったため、
高度な文明が朝鮮半島から伝わったという歴史認識になったようです。
天皇家の歴史も以上の流れに沿ったものであり、
天皇のご先祖が住んでおられた日向の国も壊滅的な被害を受け、
恐らく福岡県の宗像市あたりに移住されたのではないかと考えられます。
宗像市は天照大神の3人の娘さんを祭ってある宗像大社がありますし、
天皇を象徴する前方後円墳が多く存在していることから、
宗像市は天皇家とゆかりの深い地域だと考えられるからです。
縄文海進による集落の水没によって天皇のご先祖も日向の住民とともに朝鮮半島に渡られたのではないでしょうか。
天皇家のご先祖が定住されたのは後に百済となる半島南西部だったと考えられます。
これは後の百済王家と天皇家が同族としか思えない緊密な交流をしているからです。
九州南部も人が住めるほどに回復したとき、
時の支配者は故郷である日向への帰還を模索されたのではないでしょうか。
わたしはこれを天孫降臨の史実と考えています。
もしそうだとすると、
高天原は朝鮮半島南西部、
時の支配者は天照大神、
派遣されたのが孫のニニギノミコト
という図式になります。
ニニギノミコトの3代後の神武天皇の東征から日本の歴史が始まったと考えることができます。
以上が事実だとすると、
我が国は火山の大噴火と縄文海進による集落の水没という、
2大災禍によって歴史が始まったという、
何ともミステリアスな歴史を持った国だと言えそうです。
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