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宗像一族が天皇家だと考える根拠

      2021/04/26

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宗像一族は大和朝廷と親交を持ち、
その優れた航海術によって大陸との橋渡しの役割を果たしてきました。

古来より天照大神の三姉妹(3女神)を祀る宗像大社の神主は
この一族の末柄が務めてこられたとされています。

現在宗像一族の資料は全く残っておらず、
その出生の経緯が不明であるため謎の豪族と言われているのです。

私は宗像一族はまさに天皇家だという認識を持っています。
その根拠を上げますと、

(1)約7300年前のアカホヤの大噴火で南九州は人が住めない状態になった。

(2)宗像市には天皇との関わりを示す多くの証拠が揃っている。

(3)天皇家と婚姻関係が結ばれている。

(4)神武東征の時宗像の神主が出迎えている。

などですが、

上記を少し詳しく説明します。

(1)約7300年前のアカホヤの大噴火で南九州は人が住めない状態になった。

   なぜこれが根拠になるかといいますと、
   アカホヤの大噴火の後縄文集落が壊滅しています。
   これは鹿児島にある上野原遺跡の地層調査で明らかになったのですが、
   最大約1mの灰の層が見つかり集落が壊滅したことが分かったのです。

   南九州で使われていた磨製石斧が全国で見つかったことから、
   住民が逃げ出したことが分かったのです。

   また北部九州で約7000年前の曽畑式土器が見つかっていますが、
   この土器は南方性の土器と言われているのです。

   日向も同じ状態のはずですので、
   そこに住んでおられた天皇家のご先祖も北部九州に疎開されたはずだということです。

(2)宗像市には天皇との関わりを示す多くの証拠が揃っている。

   宗像市には天照大神の3女神を祀る宗像大社があり、
   周辺には多くの前方後円墳が作られています。
   
   前方後円墳は天皇家の墓ですので、
   いくら豪族といえども天皇家と同じ墓が作れるとは思えません。
   もし作ると多くの住民の非難を受けるはずです。

(3)天皇家と婚姻関係が結ばれている。

   飛鳥時代に宗像一族の宗形徳善の娘である尼子娘(あまこのいらつめ)は、
   天武天皇の妃となって高市皇子を生み、
   国母となるなど大和朝廷中枢と親密な関係にありました。

   このような関係が単なる地方の一族が築けるとは思えません。
   宗像一族も天皇家であったとすれば納得できる話です。

(4)神武東征の時宗像の神主が出迎えている。

   宗像市には天照大神の両親であるイサナギ、イサナミを祀る八所宮があり、
   神武東征の時イハレビコノミコト(神武天皇)を赤い馬で出迎えたことから、
   赤間(赤馬)という地名が残っています。

   これはおそらく宗像一族が神武天皇と東征の打ち合わせをしたと考えられ、
   宗像に天皇家とのつながりの深い一大勢力が存在したことを伺わせます。
   大陸との交流のためなら分かりますが、
   それとは関係のない東征までこのような行為が行われたことは、
   両者に大きな繋がりがあったことを伺わせます。
 

以上のように、

(1)アカホヤの大噴火の後天皇家はどこに行かれたのか?
(2)謎の豪族と言われている宗像一族はどこから生まれたのか?
   
ということを考えたとき、
私は両者が同一(繋がっているはず)だと考えるのは妥当だと思いますが、
皆さんはどう思われたでしょうか。、
   

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 - 古代日本史, 歴史