信仰心を身に付けなければ心は安定しない
2025/06/13
〈情報メディア発信局へようこそ〉
人の心は常に揺れ動いています。
気分がいい日もあれば悪い日もある。
これは心が一定していない証拠です。
出来ればいつも穏やかな日日を送りたいものだ。
これは誰しもが望む願望ですが、
心が一定していなければ決して得られないことなのです。
ではどうすれば心を安定させることが出来るのでしょうか?
それは宗教心を身に付けることです。
人間の心は揺れ動きますが、
神仏の心は決して揺れ動きません。
どんな状況にあっても常に一定しているのが神仏の心なのです。
この神仏の心と自身の心をつなげる努力をすることです。
これは大海で揺れ動く小舟が動かない大地に錨を下すようなものです。
これは人間同士では決して出来ないことです。
小舟である人間が何人集まろうと、
揺れ動く小舟同士が心を安定させることは決してできません。
個人が大船になって心を安定させればいいという意見もあるでしょう。
それは仏教では小乗仏教の考え方です。
それには座禅などの厳しい修行が必要です。
私は若いころ修行のまねごとをして安定した心を得ようとしましたが、
私のような凡人にはとても無理だと気づき、
仏にすがる大乗仏教に切り替えました。
*小乗仏教:厳しい修行を得て悟りを得るため人が限られる
*大乗仏教:例えば南無阿弥陀仏を唱えれば救われるといった浄土真宗のように簡単にすることによって大衆を救う
親鸞聖人は比叡山で悟りの難しさを知り、
下山して法然上人と出会って大乗仏教に目覚めたのは有名な話です。
大乗仏教とは皆で大きな乗り物に乗ること。
すなわち自ら悟るのではなく、
神仏にすがることによって安らぎを得るという教えです。
私は比叡山で挫折した親鸞聖人の心が手に取るように分かります。
話がそれましたが、
要はまずすがる対象を見つけることです。
私は現在観音様にすがっていますが、
すがる対象は何でもかまいません。
阿弥陀様でもお地蔵様でも自分が決めればいいことです。
大切なことは信じること。
信じる心が無ければ宗教は成り立ちません。
神仏は決して裏切りませんし、
信仰心が強ければ強いほど大きな安らぎが得られます。
私は特定の教団に所属することは進めません。
教団は所詮揺れ動く人が作ったものですし、
営利目的で作られた可能性があるからです。
新興宗教にだまされて財産を失う事件がありますが、
自分が造った宗教心に決してだまされることはありません。
私は観音様をイメージして、
いつでもどこでも観音様と共に生きていることを意識しています。
もう少し手の内を示しますと、
私のイメージは観音様と向き合って座り、
その周りを七福神が取り囲んでいる図式です。
これがいろいろ模索した現在の時点の私に最も合ったイメージです。
このように自分に合ったイメージを模索することは楽しい作業です。
現在の高度な文明社会は、
複雑であるがゆえに色々な意味で生きづらいと感じる人も多いのではないでしょうか。
時代に翻弄されずに安定した心を得ることは、
生きていくうえで最も大切なことだと思いますが皆さんはどう思われますか?
スポンサーリンク