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遺伝子が古代日本の歴史認識の間違いを証明している

      2022/02/19

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現在の歴史認識では、
縄文人は大陸からやってきたことになっています。

人類はアフリカが起源であることが分かっていますので、
これは基本的には間違っていません。

恐らく旧石器時代に日本列島に移り住んだはずです。

しかし問題はその後です。

縄文時代になって、
多くの縄文人が大陸に渡りました。

これが現在の歴史認識とは大きく異なるところです。

弥生時代になって大陸に秦の始皇帝が生まれ、
その後起こった度重なる戦乱から逃れるため、
大陸に渡った縄文人が日本列島に逃げ帰ったのです。

これは山陰の青谷上寺地遺跡の大量の損傷人骨が証明しています。

遺伝子解析の結果そのほとんどが渡来人だったことが分かったのです。

大勢の渡来人が押し寄せたにもかかわらず、
日本の言語も文化も全く変化を起こしていないのです。

これはとりもなおさず、
渡来人も日本の言語と文化を持っていたはずだということです。

もし渡来人が中国人や韓国人だったとしますと、
日本の言語や文化は大きく変化しているはずです。

現在は中国語や韓国語は日本語と大きく異なります。

言語の違いは基礎語。
すなわち目、鼻、口といった体の部位の呼び方や、
数字の数え方などは日本中北海道から沖縄まで共通していますが、
中国語や韓国語は全く違います。

このことから見ても、
大量の渡来人が押し寄せても日本語が変化していないということは、
渡来人も同じ日本語を持っていたということです。

従来の歴史認識では渡来人が少数だったため日本人に同化され、
言語も文化も変化しなかったとされています。

しかし縄文後期の西日本は極めて人口が少なかったことが分かっています。

弥生時代になって爆発的に人口が急増しているのです。

これを稲作の広がりによる人口の自然増と言われていますが、
青谷上寺地遺跡の大量の渡来人の遺伝子解析結果を考えますと、
人口の自然増というより、
大陸に渡っていた大勢の日本人が戻ってきたせいだと考える方が妥当ではないでしょうか。

もしこの考えが正しければ、
渡来系弥生人は大陸に渡っていた日本人だったということになります。
この認識は現在のものとは完全に異なります。
渡来系弥生人の人骨が縄文人と大きく異なるのは、
大陸に渡ってウラル系の人たちと混血したためと考えられます。

また多くの弥生遺跡には環濠が巡らされています。
これは集落通しの争いのためではないかと言われていますが、
明確な証拠は残っていません。

従ってこれは集落通しの戦いのために作られたのではなく、
大陸からの侵略に備えたと考えた方が理にかなっています。

特に山陰で見つかった荒神谷遺跡の大量の戦闘用具は、
集落同士の争いでは説明がつきません。

これも大陸からの侵略に備えて用意された可能性の方が高いのではないでしょうか。

以上のように、
弥生人骨の遺伝子解析が行われたことによって、
古代日本の歴史認識が根底から覆される可能性が出てきたのです。

これからが楽しみですね。

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