弥生時代の渡来人は何語を喋っていたのか?
2024/03/29
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縄文時代後期の西日本はきわめて人口が少なかったことが分かっています。
ところが弥生時代になって爆発的に人口が増えているのです。
歴史教科書ではこれを稲作の広がりによる自然増ということになっています。
稲作の広がりだけで爆発的な人口増が起こるのかと、
疑問を持った方はおられませんか?
一説には大陸で大規模な争いが起こったために、
大勢の渡来人が日本に逃げてきたのではないかという意見もあります。
これは鳥取県の青谷上寺地遺跡で、
大量の渡来人の損傷人骨が見つかったからです。
もしそうだとしますと、
彼らはいったい何語を喋っていたのでしょうか?
人が言葉を変えるときは、
言語の違う異民族に支配されたときだけのはずです。
例えばアメリカ大陸では西欧人の侵略によって、
原住民は強制的に言葉を変えさせられました。
もし渡来人が少数なら、
教科書のように日本人に同化して彼らが日本語に変えたのでしょう。
しかしそこにいた縄文人より渡来人の方が多かったとしたら、
果たして彼らの方が言葉を変えるでしょうか?
おそらく変える必要はないはずです。
大勢の渡来人が例えば中国語を話していたとすれば、
最初に入った九州ともともと日本語を喋っていた東日本とで言葉が異なるはずです。
そうなっていないということは、
渡来人も日本語を喋っていたということではないでしょうか。
このことは私がずっと発信しているように、
大規模火山噴火と縄文海進によって住めなくなった多くの縄文人が、
大陸に渡ったと考えればつじつまが合うのです。
朝鮮半島には日本固有の前方後円墳が見つかっていますし。
中国の江南地方には日本固有のしめ縄や鳥居が見つかっているのです。
このことを考えますと、
大陸に渡った縄文人が、
弥生時代に興った秦の始皇帝とその後の戦乱を逃れて日本に逃げ帰ったと考えれば、
彼らが日本語を喋っていたのは当然と言えるのではないでしょうか。
*子供のころ習ったものは間違ったものでも常識として定着します。
これを覆すには一度白紙の状態で考えてみる必要があります。
大陸に多くの日本人が住んでいたのではないかと考えたほうが、
本文のように色々な出来事に矛盾がないのです。
なぜ歴史学者はこんな簡単なことに気付かないのでしょうか?
元々理系の研究者だった私には不思議で仕方がありません。
*歴史教科書は正しいものだと決めつけずに、
もしかしたら間違っているかもしれないと疑ってみると、
歴史が面白くなるので是非皆さんも挑戦されることをお勧めします。
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