昭和天皇の人間性について
2025/08/30
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私のような一庶民が、
天皇の人間性を論じるなど恐れ多いことは100も承知していますが、
世の中に、
まだ昭和天皇の素晴らしさを理解されていない方も多いと思われますので、
この記事を発信することにしました。
まず昭和天皇の人間性を知ることのできるエピソードは、
有名なマッカーサーとの会談です。
マッカーサーは命乞いに来たと思っていた天皇の言葉に驚きます。
天皇の申し入れを簡単に要約しますと、
「今回の戦争の責任はすべて私にある。従って私はどんな処分も受け入れるつもりでここに来ました」
「飢えている国民を何とか救っていただきたい」
自分の命より国民の生活を心配する昭和天皇の言葉にマッカーサーは驚き、
回顧禄で次のような言葉を残しています。
これも要約しますと、
「天皇の言葉に心の底から揺さぶられ、私は今までこれほどの紳士は見たことがない。」
「私は神のごとき帝王を見た」
マッカーサーは天皇に心酔し、
それまで横暴な態度を改め、
会談後は、まるで天皇の従者のように玄関まで見送ったと記録されています。
いまでも天皇を戦争責任者として非難している人がいますが、
昭和天皇は最後まで戦争することに反対していたのです。
また昭和天皇を独裁者と呼ぶ人がいますが、
もし独裁者だったら戦争を嫌っていたのですから、
戦争はやらせなかったはずです。
戦争は御前会議で協議の結果決められたもので、
天皇一人で決められる制度にはなっていなかったということです。
マッカーサーと昭和天皇の会談の中身は互いに秘密にしようという約束だったので、
会談後、なぜマッカーサーの態度が急変したのかマッカーサーの回顧録が出るまで謎だったのです。
マッカーサーは回顧禄を出したくらいですから、
先に約束をやぶったのはマッカーサーということになりますが、
昭和天皇からはその後一切このことを語られることはありませんでした。
独裁者や戦争の最高責任者と言う世間の批判があれば、
通常の人間ならマッカーサーとの会談を弁明に使うはずです。
しかしそうしなかったことは、
昭和天皇の強い意志と卓越した人間性が感じられるのです。
その後、昭和天皇は慰問のための全国行脚を決行されました。
危険だということで周囲の反対があったのですが、
昭和天皇の希望はかなえられたのです。
アメリカは天皇を恨む聴衆によって大混乱が起こるはずだと予想していたのですが、
各地で起こる大観衆の熱狂ぶりを見て、
天皇と国民の関係はこのようなものだったのかと驚かせたようです。
私の勉強不足でほんの一部しか照会できませんでしたが、
これだけでも昭和天皇の人間性を知るには充分な気がします。
敵将を感動させるほどの権力者がどこにいるでしょうか。
昭和天皇だけが立派ではありません。
仁徳天皇の民のかまどのエピソードにあるように、
天皇とは国民の幸福を第一に考えておられる存在なのです。
このような天皇のおられる国は日本以外にありません。
私は本当にありがたいことだと思っています。
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