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これでも高天原は朝鮮半島だったことを否定できますか?

      2017/07/09

まず古代の朝鮮半島の住民が日本人であったということを、
遺伝子で証明しましょう。
現在の韓国人と日本人(特に九州人)の遺伝子関係は次の通りです。

男の遺伝子(Y染色体)は異なる
   日本人にはD系統があるが韓国人にはない
女の遺伝子(ミトコンドリアDNA)はほぼ同じ
   篠田謙一氏の解析による

もし古代の朝鮮半島の住民が日本人(特に九州人)と全く人種が違っていたら、
  
   男の遺伝子(Y染色体)は異なる
   女の遺伝子(ミトコンドリアDNA)も異なる

であったはずです。

女の遺伝子に注目してください。
古代に異なっていた遺伝子が、
現在はほぼ同じになっていることになります。

同じ遺伝子が時の経過で違ってくることはあり得ますが、
違った遺伝子が同じになることはあり得ません。
このことから女の遺伝子が同じなら古代も同じ。
すなわち朝鮮半島にはもともと同じ日本人が住んでいたということです。

ではなぜ男の遺伝子は違っているのでしょうか?
考えられることは一つです。
日本人の居住地に異民族の男の集団が入り込み、
日本人男性をすべて排除したということです。

ただし遺伝子だけでは日本から縄文人が渡っていた証拠にはなりません。
元々同じ人種が住んでいたなら、
どちらが先か分かりませんから、
日本人と呼ぶのは適当ではないからです。

それでは九州の縄文人が朝鮮半島に渡った根拠を示しましょう。

約7300年前に硫黄島で大規模な海底火山の噴火が起きました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火です。
これによって南九州は人の住めない状態になったことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。
火山灰は最大1mの層になっており、
火山噴火の後、高度な縄文文化が消滅したことが分かったのです。

硫黄島まで最短でも50km以上ありますので、
住民を絶滅させるような地理的状況にはありません。
住民の多くは北部九州に移動したはずです。

ところが約6000年前になると今度は縄文海進で、
北部九州も人が住めなくなってしまいます。
これは佐賀で見つかった東名遺跡が当時の悲惨な状況を表しています。
すべてが泥に埋まった状態で発掘されたのです。

福岡市の埋蔵文化財センターや宗像市の海の道むなかた館で調べますと、
この頃の縄文土器がほとんど見つかっていないことが分かります。
すなわち住民がどこかへ移住したことを表しているのです。

丁度このころから朝鮮半島で北部九州の縄文土器とよく似た、
櫛目文土器が出土し始めます。
韓国国立中央博物館が出していた古代年表を見ますと、
7000年以前は土器が発見されておらず、
いきなり高度な櫛目文土器が出現しているのです。
気候の関係で朝鮮半島は縄の材料となる葦が生息せず、
そのため縄の代わりに櫛で文様を付けたと解釈できます。

このように土器の年代からも、
九州の縄文人が朝鮮半島に移り住んだと考えられるのです。
恐らく縄文海進で九州の平野部は葦で覆われ、
岩場を消滅させたことによって、
重要な食材である貝や海藻が、
葦のない朝鮮半島の方が容易に手に入ったのではないでしょうか。

最後に言語を考えてみましょう。
九州は朝鮮半島とは頻繁な交流をしていたことが、
お互いの特産物の発見で分かっています。
ところが言葉の障害をにおわせる証拠が一切見つかっていないのです。
これは同じ言葉をしゃべっていた可能性が高いということです。
全く違った民族が同じ言葉を使うとは思えません。

以上の遺伝子、土器、言葉などを総合的に考えた時、
古代の朝鮮半島の住民は、
九州から渡っていった縄文人だった可能性が高いということです。

日向に住んでおられた天皇家のご先祖も、
以上のような事情で朝鮮半島に渡られ、
後の百済となる半島の南西部を拠点にされたのではないでしょうか。

大和朝廷と百済が同族としか思えないような関係を、
その後も維持し続けているからです。
記紀によりますと、
天孫降臨が行われるとき天照大神はスサノウノ命とニニギノミコトに、
葦原の中つ国を治めるように命じています。

葦原の中つ国は日本のことですが、
はじめに述べたように日本の平野部は葦で覆われていましたので、
葦のない朝鮮半島から見ますと、
日本は葦の中にある国に見えていたはずです。

スサノウノ命が降臨した出雲には、
スサノウノ命は海を渡ってこられたという伝説が残っていて、
その時の船が岩になったという舳先状の岩が信仰の対象になっています。
このことも高天原が朝鮮半島にあったことを裏付けているのです。

高天原の所在地は様々な説がありますが、
日本が葦の中にある国に見えるのは国内にはないはずです。
古来より天皇は朝鮮半島から来られたとか、
百済出身だという噂が絶えませんでした。

ここで述べたように、
もともと日向に住んでおられた天皇家のご先祖が、
火山噴火と縄文海進の2つの災禍で朝鮮半島に渡られ、
自然が回復した約3000年前に日本に拠点を戻された、
と考えればすべてが納得できるのです。

事実、上野原遺跡の地層からも、
約3000年前から再び集落が作られていることが確認されています。

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