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白村江の戦いは日本人と韓国人の言わば天下分け目の戦いだった。

   

関ヶ原の戦いは徳川と豊臣の東西を2分した戦いでした。
そのため天下分け目の戦いと言われたのです。
白村江の戦いは朝鮮半島における日本人と韓国人の戦いであり、
日本人の作った百済と高句麗の敗北によって、
朝鮮半島における日本人の影響力を完全に失った戦いだったのです。
その意味で白村江の戦いは、
日本人と韓国人の朝鮮半島における天下分け目の戦いだったと言えるのです。

もともと百済、新羅、高句麗は、
火山噴火と縄文海進で住めなくなった九州の縄文人が、
朝鮮半島に移り住んで作り上げた国でした。
  
  *この詳細は何度も一連の私の記事で解説していますので、
   ここでは省略いたします。

現在の韓国人の先祖は北方アジアの遊牧民だったことが、
韓国の大学教授によって明らかにされています。

  *この説によりますと韓国人の先祖は言語や歌(アリラン)、
   それに風習(トーテムポール)が似通っていると言う理由で、
   北方アジアのエベンキ族の可能性が高いと言うことです。
   また国際的な調査で、
   アムール川沿いの悪魔の門の洞穴から出土した、
   2体の人骨を分析したところ韓国人の遺伝子に最も近かった、
   という報告が出ています。

このことから白村江の戦いは、
北方アジアから新羅に入り込んだ韓国人の先祖が、
新羅の実権を握った後に中国の唐と同盟を結び、
百済と高句麗に対して戦いを起した戦いだったことになります。

   *百済の女性たちが新羅の男たちを恐れて、
    集団で海に身を投げている絵が残っています。

韓国ではこの戦いを、
半島から日本人を追い出した勝利の戦いと位置付けているのです。

   *この戦いで敗北した百済と高句麗の王は日本に逃げています。
 
韓国人の国となった新羅は統一新羅として朝鮮半島を統一し、
唐との関係を切って後の高麗(こうらい)を建国しています。
高麗は今度は中国の元と手を組んで日本に戦いを挑みました。
これがいわゆる元寇です。

   *以上でお分かりの通り、
    高句麗は日本人の国、後で作られた高麗(こうらい)は韓国人の国です。
    日本の高麗(こま)神社は高句麗を祀ったもので高麗(こうらい)とは全く関係ありません。
    高麗(こま)神社に高麗のトーテムポールが置いてあるのは間違いなのです。
   
   *元寇における高麗軍の残虐さは語り草になっています。
    対馬の女性は手に穴を開けられて船の看板につるされたなど、
    とても人間のやることとは思えない悪行を重ねています。

私はここで反韓の目的で記事を書いているつもりはありません。
歴史の真実を書いているだけです。
どう思われるかは皆さんの自由です。

話が先まで進み過ぎましたが、
要は白村江の戦いは、
朝鮮半島を日本人と韓国人のどちらが支配するかと言う、
正に民族通しの天下分け目の戦いだったと言うことです。

最後にこの記事でことさら韓国人を恨むべきではないと思っています。
信長も一向一揆の鎮圧で、
大勢の罪のない信者を一か所に集めて焼き殺しています。
西欧諸国はアフリカ人を奴隷にしていますし、
アジアでは植民地政策で住民を強制的に働かせています。
要は昔はそのような残酷な時代だったと言うことです。


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