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宗像一族は火山噴火から逃れた天皇家のご先祖だった。

      2020/12/05

歴史書では、
宗像一族はその優れた航海術に目を付けた大和朝廷が、
朝鮮半島との交易のために親交を持ちーーー。
というように天皇家とは無関係の単なる一豪族とされています。

しかし天皇家のご先祖が住んで居られたと考えられる南九州(日向)は、
約7300年前に薩摩硫黄島で起きた、
海底火山の大噴火(鬼界カルデラ:アカホヤの大噴火)によって、
約4000年に渡り人の住めない状態であったことを考えますと、
天皇家のご先祖は北部九州に移り住まれた可能性が高いと考えられ、
正にこれが宗像一族ではないかと思われるのです。

宗像一族に関する資料は一切残されていないため、
宗像一帯を支配していた謎の豪族と言われています。
しかし宗像には天皇家とのかかわりを示す数多くの証拠が揃っており、
天皇家のご先祖の避難先であった可能性が、
他の地域に比べて極めて高いと考えられるのです。

宗像市と隣の福津市一帯は天皇家を象徴すると言われる前方後円墳が、
他の地域に比較して高密度で集中しています。
また天照大神のご両親のイサナギ、イサナミを祀る八所宮の存在。
それに天照大神の3人の娘さん(3女神)を祀る宗像大社があります。

   *イサナギ、イサナミを祀る神社は全国に存在しますが、
    神武東征の時宗像の八所宮から宮司が赤い馬に乗って一行を出迎えたことから、
    赤間(赤馬)という地名まで残っているのです。
    このような神社は他にありません。

このような天皇家との関りを強く感じさせる土地柄と、
謎の豪族と言われている宗像一族の存在を考えた時、
宗像は故郷である日向に住んで居られた天皇家のご先祖が、
火山噴火から逃れて移り住まれたことにより、
天皇家の第二の故郷だった可能性が高いと言えるのです。

その後の大和朝廷と宗像一族の関係は、
いくら航海術に優れ大陸との交易に必要だったとはいえ、
単なる支配者と地方の一豪族との関係とは思われません。
正に天皇家のご先祖だったと考えた方が納得できるのです。

約6000年前になると今度は縄文海進の最盛期を迎え、
低地の集落は水没して北部九州も人の住めない状態になります。
そのため天皇家のご先祖は朝鮮半島に渡れたと考えられます。

  *この詳細は別の私の一連の記事を参照して下さい。  

昔から天皇は朝鮮半島から渡ってこられたという噂が絶えませんでした。
これは火山噴火と縄文海進によって半島に渡られたもので、
約3000年前になって縄文海退で現在の状態に回復したために、
朝鮮半島から日向に戻られたことを言っているのです。

これが天孫降臨ではないかと思われるのです。

   *この詳細も別の私の一連の記事を参照して下さい。

以上のように元々日向に住んで居られたと考えられる天皇家のご先祖の、
(日向→宗像→朝鮮半島→日向)
の疎開と帰還の足取りを考えますと、
宗像一族は正に天皇家のご先祖であったという結論になるのです。

もしそうではないと言われる方がおられたなら、
是非私の記事の明確な矛盾点を示すことによって、
反論していただけたら幸いです。

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