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邪馬台国や卑弥呼は実在しなかった?

      2017/10/13

邪馬台国論争は未だに決着していません。
九州説と畿内説があるのですが、
どちらにもそれらしい根拠があるものの、
決定的な証拠が見つかっていない以上、
これからも論争は続くものと考えられます。

私が最も不思議に思うのは、
邪馬台国と卑弥呼の記述が隣国の魏志倭人伝にしか見られないことで、
日本には記紀だけでなく地方に残る伝説にも残っていないのです。

これは誠に不可思議としか言いようがありません。
歴史に残るほどの国と支配者が存在していたにもかかわらず、
わが国には一切の存在の気配すら残っていないのです。

このような状況を考えれば、
そのそも邪馬台国も卑弥呼も存在しなかったのではないか。
と考えても不思議ではないはずです。

  *朝廷が邪馬台国を意識的に無視するため、
   記紀に記述しなかったのではないかというような説もあるようですが、
   各地に残る言い伝えまで消すことは出来ません。
   本当にあったのならどこかに少しでも残っているはずです。
   
私が可能性があると考えている説は次の2つです。

1.中国が日本からの使者の言葉を聞き違えた。

2.使者が大和朝廷の存在を隠すためにわざと架空の国名を言った。

まず1.ですが、
『何処から来られたか?』という質問に、
『大和国(やまとこく)です』と答えたとします。
これを
『やまたいこく』と聞き違えたとしたら?
これに当て字で邪馬台国と魏志倭人伝に記述したとしたら?

また『ヒメ』や『ミコ』は古代日本では、
女性の祭祀の長に与えられる称号ですから、
これを『女王の卑弥呼が統治していた』
と誤解したとしても不思議ではありません。

次に2.ですが、
強大な中国皇帝に対して、
使者が日本の朝廷の存在を明かすことは危険と判断したとしたら?
我々の邪馬台国は卑弥呼が統治した小国であり、
とても中国皇帝に並べられるような存在ではありません。
ということにしたら?

幕末のときペリーが開港を求めて徳川幕府と交渉した時、
幕府は朝廷の許しが無いと何もできないことが、
交渉の途中で気付いたのです。
つまりアメリカははじめ、
幕府と朝廷と言う日本特有の2重構造に気付かなかったのです。

また幕府は朝廷を守るため、
京都に近い港の開港を必死で阻止したのです。

実際に政治を行う幕府と許認可を与える朝廷という、
日本独特の2重構造が古代日本からあったとすれば、
中国皇帝も大和朝廷の存在に気付かなかったという可能性があります。

大和朝廷の存在を意図的に隠したかどうかは別として、
中国には背後にある大和朝廷の存在に気付かず、
魏志倭人伝には使者の言う邪馬台国と卑弥呼の記述があって、
大和朝廷の記述が無いと言うことです。

いずれにせよ、
中国に使者を送るほどの国が存在し、
女王卑弥呼が治めていたとすれば、
日本には全くその存在が噂にも残っていないことを考えますと、
国としては無かったと考える方が正解ではないでしょうか。

*私の感想ですが歴史学者は古代中国を過大評価し過ぎているような気がします。
  現在で比較しても正確性を重視する日本人に対して中国人はもっと大雑把と言います。
  民族性は時代が変化してもそう大きく変わるはずはありません。
  先進国であった中国の魏志倭人伝の記述には間違いがあるはずはない、
  と思い込んでいるのではないでしょうか。 


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