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縄文海進が日本の古代歴史に与えた影響

      2018/03/02

縄文海進は約6000年前をピークとして、
海面上昇によって海が内陸奥地へ入り込み、
これによって日本のほとんどの平野部が作られたのです。

この時期、
日本中に縄文人が住んでいましたが、
明かに西日本に比べて東日本の方が遺跡(人口)が多く、
この謎に対して様々な説が唱えられましたが、
いずれも納得できるものはありませんでした。

私はこの原因を葦の分布と関係があるのではないかと考えました。
葦はイネ科の植物で熱帯から温帯を生息範囲にしています。
関東地方が生息の境界になっていて、
東北以北はほとんど葦が生えないのに対し、
西日本の平野部は多くの葦に覆われたはずです。
古代日本が葦原の中つ国と言われた理由です。

葦が平野部を埋め尽くしますと、
岩場が奪われて貝や海藻が激減したことや、
丸木舟で漁に出かけるときの障害になるなど、
生活を海に依存していた縄文人にとっては、
深刻な問題となったはずです。

西日本の人口が減少するにつれ、
東日本では明らかな人口の増加が見られます。
また朝鮮半島では九州の土器に類似した、
櫛目文土器が出土し始めています。

これは気候の関係で東日本や朝鮮半島は葦が生息できず、
葦による弊害が起こらなかったために、
西日本の縄文人が移り住んだと考えられるのです。
すなわち縄文海進によって大規模な人口の移動があったと言うことです。

この現象は古代日本の歴史に大きな影響を与えました。
古代日本の歴史は天皇の歴史でもあります。
なぜなら古代日本は天皇を中心に国作りが行われてきたからです。

記紀の記述から、
天皇家のご先祖は元々は日向に住んで居られたと考えられます。
ところが日向のある南九州は硫黄島で起こった鬼界カルデラ、
いわゆるアカホヤの大噴火で人が住めない状態になりました。

南九州の縄文人の多くは故郷を捨てて全国に拡散したのです。
なぜなら、
この地域で使われていた磨製石斧が全国で見つかったからです。

天皇家のご先祖も日向の住民と共にまずは北部九州、
おそらく現在の宗像市周辺に移住されたと考えられます。
なぜなら北部九州でこの地域が、
天皇家とのかかわりを示す証拠が最も多く残されているからです。

   *具体的には天照大神のご両親を祭る八所宮の存在、
    天照大神の3女神を祭る宗像大社の存在、
    さらには、
    天皇家の墓と言われる前方後円墳が、
    北部九州では最も集中していることなどです。

ところが初めに述べましたように、
縄文海進によって生活環境が悪化し、
天皇家のご先祖も朝鮮半島に渡られたと考えられます。

移住先は半島南西部、
つまり後に百済となる地だと考えられます。
なぜなら百済と大和朝廷は常に連携し、
まるで属国であるかのような関係を維持していたからです。

弥生時代になりますと縄文海進が収まり、
広大な平野部が出現しました。
農耕技術の進歩によって狩猟生活から農耕生活に移行し、
半島より栽培条件の良い日本列島に住民が戻ってきたと考えられます。
なぜなら特に西日本は急速な人口増加が起こっているからです。

天皇家も元々の故郷である日向に戻られたと考えられ、
この出来事が天孫降臨として語り継がれたと考えられるのです。

天孫降臨を果たしたニニギノミコトの4代後のイハレビコノミコトが
畿内への東征を果たされ、
初代神武天皇として即位されて日本の歴史が始まったのです。

以上のように縄文海進は日本の歴史の始まりに大きな影響をあたえ、
もし縄文海進が起こらなかったら、
日本の歴史も違ったものになっていたかも知れません。


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