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神道は宗教か?

      2021/01/21

≪情報メディア発信局へようこそ≫

私は現在観音信仰をしていますが、
観音様は仏教の概念ですのでその意味で私は仏教信者ということになります。

宗教の正確な定義は分かりませんが、
私はあくまでも宗教は個人の心の救済が基本だと思っています。

般若心経は仏教の神髄をすべて言い尽くしているといわれますが、
この中に国の繁栄や国民全ての幸せを願う文言は一言もありません。
どう生きれば幸せになれるかという、
あくまでも個人の生き方や考え方の教えです。

歴史的に時の権力者が信者を利用した経緯はありますが、
これは本来の宗教の目的を逸脱した正に邪道と言えるのではないでしょうか。

国が宗教を利用するとろくなことはありません。
宗教戦争は正に権力者が宗教を利用した結果で、
心の救済どころか多くの犠牲者を招いたのです。

宗教はあくまでも個人の心の救済にとどめるべきで、
国のレベルに広げるとロクなことにはならないことは歴史が証明しているのです。

さて本題の神道ですが、
神道は個人の心の救済が目的ではありません。
国の繁栄を願い国民の幸せを祈るのが神道の本来の目的です。

その証拠に宗教のような開祖や経典は存在しません。
天皇陛下は毎日天照大神に国の繁栄と国民の幸せを祈っておられると聞きます。
これは日本における古来よりの伝統なのです。

この意味で個人の心の救済を求める仏教とは根本的な違いがあるのです。
もし神道に個人の心の救済が入っていたら仏教と目的がダブることになります。
日本に神道というものがありながら仏教を素直に受け入れたのは、
国か個人かという祈りの対象に根本的な違いがあったからではないでしょうか。

   *国の中に国民がいるのですから国の安定が無ければ個人の幸せもありません。
    その意味では国と個人を完全に分けることはできませんが、
    全体と個人のどちらに主たる重点を置いているかと言うことになります。

政教分離の原則は、
もともと個人の心の救済のための宗教が政治と結びついて、
多くの宗教戦争を引き起こした反省に基づいたものです。
二度と宗教戦争を起こさないための人間の知恵と言えるでしょう。

しかし神道は繰り返しになりますが個人の心の救済を目的としたものではありません。
その意味で宗教とは根本的に違うのではないでしょうか。

   *キリスト教や仏教には宗教の教の字が付いていますが、
    神道には教ではなく道の字がついていること自体が、
    神道は根本的に宗教ではないということではないでしょうか。
    すなわち教えではありませんよという意味です。
    キリスト教はキリストの教えであり仏教は仏(ブッタ)の教えです。
    すなわち宗教は教祖からの教えですから教なのです。
    それに対して道はつながっている経路という意味ですから、
    神道は神につながった道つまり天皇家が天孫降臨によって神につながっているという意味ですので、
    宗教とは根本的な違いがあるということです。

戦後GHQは神道の本来の意味が理解できず、
神道を宗教と誤解したようです。
この考えが未だに日本に定着していて、
神道に基ずく行事に対して国の予算を出すのは、
政教分離の原則に反するという批判が出るのです。

天皇の行事は国の行事ですから国が経費を出すのは当然なのです。

日本の長い歴史を考えたとき、
天皇制とそれに付随する神道は日本そのもので、
個人の心の救済を求める宗教とは次元の異なるものなのです。

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