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宗像市にある東郷高塚古墳は天照大神の墓ではないのか?

      2019/12/02

東郷高塚古墳は古墳時代の初期に作られたと言われている巨大な前方後円墳です。
ところが残念なことに盗掘によって誰のものか全くわかっていないのです。
宗像は宗像一族が支配していたことから、
その支配者の古墳ではないかと言われています。

そもそも宗像一族とは何者なのでしょうか。
歴史書では航海術に優れた地方豪族ということになっています。
大和朝廷が大陸との交易のためにその技術を利用したと言われているのです。

しかしここで疑問が出てきます。
一豪族に過ぎない宗像一族が天皇の墓と言われる前方後円墳を作れるのでしょうか。
いくら豪族とはいえ天皇家と同じ墓を作ることを当時の世論が許したとは思えないのです。

そのような理由から、
私は宗像一族は正に天皇家だったと見ています。

約7300年前に鹿児島沖の薩摩硫黄島ですさまじい規模の海底火山の大噴火が起こりました。
この噴火は全国に痕跡を残しており、
特に南九州では最大1mもの火山灰が降り積もったことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

ほとんどの住民は北部九州に疎開したと考えられます。
天皇のご先祖が住んでおられたと考えられる日向も例外ではなく、
住民とともに今の宗像市周辺に疎開されたのではないでしょうか。

*北部九州で見られる曽畑式土器は南方の人たちが作ったと言われています。
しかも年代がアカホヤ以降であることから住民が北へ移動した証拠ではないでしょうか。

宗像市は天皇との関係を伺わせる多くの証拠がそろっています。
前方後円墳が高密度で存在していますし、
天照大神の三女神が祭られている宗像大社の存在の他、
神武天皇が東征の際今の北九州市の岡田宮に一年滞在したとき、
宗像の八所宮の神(宮司)が赤い馬で出迎えたことから赤間(赤馬)という地名が残っているのです。

このようなことを考えますと、
宗像は火山噴火から逃れた天皇家の第二の故郷であり、
謎の豪族とされた宗像一族は正に天皇家のご先祖だった可能性が高いと考えられるのです。
おそらく神武天皇は宗像の天皇家と東征の打ち合わせをしたのではないでしょうか。

さてここで古墳の話に戻しましょう。
天孫降臨のニニギノミコトの墓は宮崎の西都原古墳群にありますし、
初代天皇の神武天皇の墓は奈良の橿原の宮に隣接して作られています。

このことを考えますと天皇家として最も重要な天照大神の墓は真っ先に作られているはずです。
その場所の可能性は三女神の祭られている宗像大社の近くだと考えるのは自然なことではないでしょうか。

東郷高塚古墳は宗像大社の南約5km程の高台にあります。
そのそばには3つの明らかに人工のものと思われる池があって、
その池も陵墓の一部と考えますと巨大な敷地面積になるのです。

繰り返しになりますがこのような巨大な前方後円墳を含む陵墓を、
いくら豪族とはいえ天皇家以外の一豪族が作ったとは思えません。

是非本格的な調査を希望しています。


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