歴史学者は縄文海進の重要性が分かっていない。稲作は縄文海進で生まれた。
2021/01/21
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日本の古代の歴史は狩猟生活が中心の縄文時代と、
稲作が中心の弥生時代に分けられていますが、
なぜ稲作が始まったのかが解説されていません。
これは縄文海進が関係しており、
縄文海進が起こらなければ稲作の文化は起こらなかったと言えるのです。
約12000年前から海面が上昇し、
約6000年前に上昇のピークを迎えています。
海面は現在より10m近く高かったことが分かっており、
現在の平野部はほとんど湿地帯で、
西日本の海岸部は大量の葦に覆われていました。
このことによって日本は葦原の中つ国すなわち葦の中の国と呼ばれたのです。
葦に覆われますと岩場が失われ、
縄文人にとって重要な食材である貝と海藻が激減したと考えられます。
*海面が上昇している間はさほど地形の変化はありません。
上昇が止まったときから波の力で陸が削られ平坦地が生まれます。
満潮時に海水に覆われて干潮時に大地が現れる。
この環境があさりやハマグリの生息に適しており、
この時期の縄文人は豊富な海の幸を手にしたはずです。
やがて海退が起こり、
満潮時にも海水が入らなくなったら葦が繁殖し始めます。
そうなりますと貝は生息でき無くなり、
食材が手に入らなくなった住民は、
葦の生えない東北地方や大陸に移動せざるを得なくなったはずです。
縄文時代に人口が極端に東に偏っているのは、
西日本の縄文人が葦による弊害のない東日本に食材を求めて移動したからだと考えられます。
*貝塚の分布がこのことを物語っています。
人口は西日本に比べて東北地方ははるかに多いのに貝塚の数はほとんど同じです。
これは海進最盛期の貝が採れる時期に西日本の人口が多く、
海面が下がって貝が採れなくなった時期に東北地方の人口が多くなったことを示しています。
*教科書では東西の偏りを樹林の違いによる山の幸の違いと解説していますがこの説には疑問を感じています。
*葦や稲の生息域は関東が北限で東北地方や朝鮮半島それに中国大陸の黄河流域は入っていません。
東北地方や朝鮮半島で稲作ができるようになったのは江戸時代以降に品種改良がおこなわれ、
寒さに強い稲が作られたからです。
中国大陸の米作りは長江流域の江南地方で、
黄河流域では作られていないのは稲の生息域から外れていることに他なりません。
*関東地方に縄文遺跡が特に集中しているのは、
利根川と多摩川の大型河川の存在によって鮭などの遡上により生活が維持され、
さらに海が内陸に入り込んだために海の幸も得られるようになり、
豊富な食材が確保できる環境が維持されたためだと考えられます。
西日本では主に河川や山に依存した住民が残り、
葦に交じっている稲の存在を知ったのではないでしょうか。
約6000年前の西日本の地層から大量の稲のプラントオパールが見つかり、
しかも明らかに栽培されたものであることが分かったのです。
中国も同時期に稲作が始まったと思われますが、
縄文海進の終わった約4000年前から大陸は乾燥化が始まったことが、
中国とアメリカによる遼河文明の調査で分かったのです。
大陸では畝を作って水を張らなければ稲作の維持が難しくなったと考えられます。
一方日本は四方を海に囲まれているため大陸ほど乾燥化が進まず、
そのため畝つくりやその道具の開発が遅れたと考えられます。
約3000年前すなわち弥生時代になって日本は爆発的に人口が増加しています。
これは縄文海進が収まって海面が低下したことにより、
西日本で葦が減って岩場が戻ったために貝や海藻が手に入るようになり、
しかも栽培に適する広大な平坦地が現れたために、
大陸から大量の住民がもどって来たためだと考えられるのです。
*教科書では人口増加を稲作の広がりと言うことになっています。
しかし弥生遺跡の人骨調査で渡来人の方が圧倒的に多かったことが分かっています。
その時中国の畝を作って水を張るという、
独特の稲作技術が持ち込まれたと考えられるのです。
*畝が作られなければ遺跡として残りません。
日本は弥生時代から畝を作り始めたために米作りは弥生時代からと言う誤解が生まれたようです。
もし縄文海進が起こらなければ、
稲を主食とする文化は起こらなかったはずです。
乾燥化が進んだためにその対応策として水田が生まれたはずで、
初めから乾燥したままだったらこのような工法は生まれなかったのではないでしょうか。
米はやがて貨幣の代わりになるくらい東アジアの文化にとって無くてはならないものになりました。
その意味でも縄文海進は非常に重要な意味を持っていると言えるのです。
日本の歴史教科書に縄文海進の記述がほとんど無いのは、
この意味を歴史学者が理解できていない証拠と言えるのです。
*縄文海進は九州から朝鮮半島への縄文人の移動ももたらしました。
女性の遺伝子(ミトコンドリアDNA)がほとんど同じであることがこのことを証明しています。
その後、朝鮮半島で高度な文明が起こって日本に伝わったのです。
このことからも縄文海進がいかに大きな意味を持っているかお分かりいただけるはずです。
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