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織田信長は一休さん(一休宗純)の影響を受けたのか?

      2021/02/14

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織田信長は今では天才中の天才と言われていますが、
若いころは常識外れの行動が多く、
周囲の人たちからうつけと思われていました。

しかしこのうつけが自分流のやり方で天下統一を成し遂げたのです。

この従来の慣習に従わない自由な発想はどこから生まれたのでしょうか?
これはあのとんちの一休さんの影響が強くあったのかもしれません。
二人の行動にかなりの共通点があるからです。

一休さんは室町時代の臨済宗のお坊さんです。
応仁の乱で焼失した大徳寺の伽藍を商人と復興し、
その住職になった人ですが、
その行動は全くお坊さんらしくない、
いわゆるなまくら坊主の典型の人だったのです。

酒に女に肉食と、
仏教では禁じられている慣習を全く守らず、
常識外れの行動を繰り返しています。

この世俗的な自由な生き方が世間の支持を受け、
今日のとんちの一休さんという肯定的な評価になっているのです。

世間の常識にとらわれないこの生き方は、
信長とそっくりではないですか?

一休は信長より約200年近く前の人ですから、
信長が一休の生き方に影響を受けたということは十分考えられるはずです。

信長は死後一休が再興した大徳寺に安置されています。
このことから見ても、
信長が一休の自由な生き方に学んだとしても不思議ではありません。

   *もしそうだとしますと一休も天下統一に一役買ったということになりますよね。

信長はいつも敦盛の一節を吟じて舞ったというのは有名な話です。

『人間50年ーーーー夢幻のごとくなり』というこの歌詞の意味は、
人生は夢幻のように一瞬だから思い通りに生きればよい。

ということになるでしょうが、
一休という名前にも同じような意味が込められています。

この世は生まれて死ぬまでの一休みにすぎない。
すなわち大した意味はないので好きに生きてよい。
という一休らしい生き方を表していると言えるのです。

正に一休も信長も世間の常識にとらわれない常識はずれな生き方をしたのです。

現在は世の中が複雑になり、
多くの人が規則や慣習に縛られた窮屈な生き方を強いられているような気がします。
また人生を必要以上に重大にとらえ、
多くの悩みを抱えてうつや自殺と言った悲劇を引き起こすことも少なくありません。

一休や信長に学び、
人生は夢幻のごとき一瞬に過ぎないので、
人に迷惑にならない範囲で心を開放し、
のびのびと自由な心で生きたいものだ。
といつも私は思っています。

   *一休さんの残した句の多くは、
    私のようなへそ曲がりな人間には心地よく感じられます。
    どんな時代にも変わった人がいるのだとホッとする思いがします。
    代表的なものを3句挙げておきます。
 
     1.門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

     2.女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

     3.世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり

      意味は自分でお調べください。

     2。だけ私流に意訳しておきます。
     世間はお釈迦様、達磨様とありがたがっているが、
     お釈迦様も達磨大師も所詮母親の体から生まれたのだ。
     結局教えの元は母親の体内にある。
      

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