人生で最も大切なことは『楽しく生きること』
2021/03/01
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皆さんの中で人生は楽しいと思っている方はどれくらいいますか?
この人は楽しそうだと思った人に聞いてみましても、
大抵はそんなことはないと否定されます。
このように心の底から人生を楽しんでいる人は、
ごく少数と言ってもいいのではないでしょうか。
このように楽しく生きることは簡単なことではないのです。
ほとんどの人は多かれ少なかれ悩みを抱えて生きています。
つい悩みのほうに心が向いてしまい、
楽しく生きることができないということになってしまうのです。
一般に人は地位や富や名誉を求めますが、
このすべてを手に入れたとしても幸せを手に入れるとは限りません。
幸せに生きることは人間の究極の目的であるはずなのに、
私たちが求めている方向にはないとすれば、
求める方向が違うのではないかということです。
天下を取った秀吉や家康でさえ、
最高の人生だったという言葉ではなく、
むなしくつらい人生であったというような言葉を残しています。
*芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成は日本を代表する文豪です。
社会的には憧れの大成功者であるはずです。
しかし4人とも自殺しています。
社会的な成功が幸せをもたらすわけではないという典型的な事例です。
私が見て満足して死んだ人の多くは、
悟りを開いたお坊さんのような気がします。
すなわち心を極めた人が本当の幸せを手に入れることができるのではないかと思うのです。
本当の幸せを手に入れるには心を何とかしないといけないということでしょう。
仏教では欲を捨てることを奨めています。
人間の幸せは欲が最大の障害になっているということです。
私は退職して縄文時代の研究を始め、
それが高じて自ら縄文人の意識で生きようと思いました。
縄文人には石器と土器以外に文明的なものはありません。
自然にあるものを工夫しながら生きていたのです。
食べ物も狩猟採集です。
私も山や海で採取して料理に使っています。
その時気づいたことは本能が刺激されるということです。
皆さんの中で潮干狩りに行ってアサリを持ち帰った方はおられるでしょう。
店で500円も出せば買えるくらいのアサリでも、
自分で採ったアサリは全く価値が違うはずです。
これは長い縄文時代までの狩猟生活の本能が刺激されているからです。
収穫する喜びが本能から来ているもので、
これこそが本当の喜びと言えるのではないでしょうか。
私がここで何を言おうとしているかお判りでしょうか。
そうです。
従来の幸せの概念を変えると、
喜びの種はどこにでも転がっているのではないかということです。
娯楽の限られていた昔の人は、
例えば月を見て俳句を詠むなど、
もっと自然に目を向け、
現代人よりもっと五感を働かせて生きていたはずです。
朝から晩までテレビを見ることしかできなくなった現代の多くの高齢者は、
自然と親しんでいた昔の高齢者とどちらが充実した老後と言えるのでしょうか。
この記事で言いたいことは、
現在自分の思っている幸せの方向が正しいのか問い直してはどうかということです。
秀吉や家康のように人間社会でこの上ない成功を収めた人でも幸せを感じなかったとすれば、
人間社会での成功は幸せをもたらすとは限らないということです。
本当の幸せとは何かを考え、
それにはどうすればいいかを徹底的に追求する。
人生で最も大切なことは、
『幸せに生きること』
なのですから。
*私がこの記事で具体的にどうすれば幸せになれるなどとは言えません。
個人によって幸せの感じ方が違うからです。
また幸せの種は他人ではなく本人が見つけ出してこそ意味があるからです。
*私はあらゆる動物の中で人間が最も劣った生き物だと思っています。
武器を作って殺しあう。
身分制度を作って人が人を支配する。
自然を壊しそれによって自分たちだけでなく多くの動物を苦しめる。
これほど劣った生き物が他にいますか?
人間世界の成功不成功にこだわる理由がどこにありますか?
*悩みを抱えていると自分だけと思いがちです。
しかし悩みのない人などほとんどいません。
悩みがあるのは生きている証拠だと思うことです。
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