歴史学会はなぜ邪馬台国と卑弥呼を史実として認定しているのか?
2021/04/07
情報メディア発信局へようこそ
私は理系の研究者の経験があり、
退職して古代日本史の研究を始めましたが、
まず不思議に思ったのが、
邪馬台国と卑弥呼の明確な証拠が出ていないにもかかわらず、
歴史学会はなぜ歴史として認定しているのかということでした。
理系の研究はしっかりとした裏付けが取れていなければ、
事実として認定されません。
例えば実測データーが存在している場合は、
計算値との整合性、
または他の複数の人が同様の実測データを出さなければ評価に値しないことになります。
それは実測データが間違っている可能性があるからです。
邪馬台国と卑弥呼の歴史は魏志倭人伝に書かれていますが、
日本国内には一切の証拠が残っていないのです。
遺跡が発見されるたびに邪馬台国の跡ではないかとか卑弥呼の墓ではないかと大騒ぎをしますが、
どれもそうではないかという憶測ばかりで明白な証拠にはならないものばかりです。
例えば九州説の根拠になっている大陸の硯、鉄器、鏡などの発見ですが、
私が他の記事で書いているように、
大陸に渡った縄文人が弥生時代になって大陸の戦乱に巻き込まれ、
逃げ帰った人たちが持ち帰ったという可能性もあるのです。
これは理系の感覚で言えば、
憶測ばかりで全く事実が証明できていないことを意味します。
戦後GHQによって天皇の歴史が完全に否定されてしまいました。
天皇の歴史を記した記紀を単なる神話の作り話という位置づけにされ、
代わりに魏志倭人伝による邪馬台国と卑弥呼を歴史として認定されたのです。
GHQは教職追放や焚書によって天皇の歴史を抹殺しました。
恐らく邪馬台国と卑弥呼の歴史はGHQが押し付けたものではないでしょうか。
*当時GHQは神のような存在でしたので逆らうことはできなかったのです。
戦後70年以上たっても、
邪馬台国と卑弥呼の実像がほとんど解明されていないのは、
この存在を疑問視している私からすればむしろ当然と言えるのです。
歴史学者の多くも内心気が付いているのではないでしょうか。
私のような素人でさえすぐにおかしいと気づいた位ですから、
歴史を専門にしている人が分からないはずはありません。
私の町にある歴史館の館長に質問しようとしましたが、
彼はいつも逃げるように立ち去ってしまいました。
仕方なく数名の学芸員に質問したところ、
まともに答えられないばかりか、
自分も疑問を持っているという方までいたのです。
GHQによって押し付けられたという事実がある以上、
本来の正しい歴史に戻そうという声がどうして広がらないのでしょうか。
歴史学者は本当に学者と呼べるのでしょうか。
学者は真実を追求するのが使命のはずです。
いつまで間違った歴史を引き継ぐ積りなのでしょうか。
確かに魏志倭人伝には倭国大乱と邪馬台国および卑弥呼の記述はあります。
しかし記述があるのと歴史の認定は別のはずです。
魏志倭人伝に書かれているというのは歴史ですが、
かといって内容まで史実と認定するのは間違っているのです。
史実と認定するのは、
誰もが納得できるだけの明確な証拠が出てきた時だけです。
教科書から魏志倭人伝と卑弥呼を歴史から外し、
魏志倭人伝に書かれているという表現に留めるべきだと考えますが、
皆さんはどう思われたでしょうか。
*例えば次のように書くべきです。
魏志倭人伝にはーーーーーと書かれています。
しかし日本国内にはそれを証明する明確な証拠は出ていません。
*歴史学会から見ますと、
私の唱えている諸説はいわゆるトンデモ説ということになるでしょう。
しかし全く証明のできていないことを史実と認定しているような組織に、
トンデモ説などと思われる筋合いは無いというのが私の意見です。
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