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古代朝鮮半島が日本領だった最も説得力のある理由

   

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約12000年前から約7000年前の間、
朝鮮半島の土器は見つかっていません。

韓国はそのうち見つかるはずだと主張していますが、
それ以前の旧石器が見つかっている以上、
それより新しい土器が見つからないはずはないのです。

このことから朝鮮半島は約5000年間無人だった時期があるとするのは、
ごく常識的な意見と言えるでしょう。

その後約6000年前後から北部九州の土器によく似た、
櫛目紋土器が出土し始めることから、
北部九州の住民が半島に渡ったと考えることができるのです。

この辺の詳細は私の他の記事で再三解説していますので、
ここでは半島の住民が日本人だった最も説得力のある証拠は何かを考えてみようと思います。

半島の住民が日本人だったと考えられる理由は他にも、

1.半島と九州で頻繁な交流があったことが分かっているのに、
  言葉の障害をうかがわせる証拠がほとんど出てこない。

2.半島で見つかった古墳を調査したところ、
  内装が日本方式だったことから韓国政府は慌てて破壊してしまった。

3.魏志倭人伝に半島南部には倭人が住んでいるという記述がある。

などですが、
私が最も説得力があると考えるのは、
沖ノ島に対する取り決めです。

沖ノ島は最近世界遺産に登録されましたが、
海の航海の無事を祈って様々なお供え物があったことが分かっています。

中には金銀製の高価な物も含まれているにもかかわらず、
奪い合いが起こっていないのです。

これは島の一木一草すら持ち出してはいけないという取り決めが守られていたからです。

もし朝鮮半島の住民が日本人でなければ、
このような取り決めを何百年にも渡って守ることがあり得るのでしょうか。

今の韓国は慰安婦合意という国際的な合意も平気で破っています。

そのような国が簡単に手に入れることのできるお宝を目の前にして、
相手との取り決めだからと言って守るでしょうか。

恐らく日本人同士でも余程の信頼関係がなければ、
このような合意は守られないのではないかと思われます。

私は日本人同士であっただけでなく、
百済と大和朝廷が同族通しだったからこそ、
この合意は守られていたと考えられるのです。

また島から持ち出すと祟りを受けるという噂も信じられていたとも言われています。
これは日本で一般的だった祟りの概念であり、
両者に共通の信仰心があったためだと考えられるのです。

私は数ある証拠の中で、
沖ノ島のルールを頑なに守り続けてきたこと自体が、
両者は日本人通しだったということの、
最も説得力のある証拠だと思っていますが皆さんはどう思われますか。

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 - 古代日本史, 歴史