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神武東征の時には日向の天尊族はすでに西日本の大半を支配していた

      2022/07/01

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現在の歴史教科書は、
戦後のGHQの意向によって、
日本神話はすべて作り話ということにされています。

しかし日本国内には、
記紀の記述と符合する多くの証拠が残されているのです。

最も代表的なのが神武東征の出来事です。

神武東征は日向のイハレビコノミコトが東征され、
機内で初代天皇に即位されるまでの行動ですが、
記紀に記述されたルートに沿っておびただしい伝承や遺跡が残されているのです。

このことから神武東征は実際にあった可能性が高いのではないでしょうか。

そこで私が天尊族の支配範囲をタイトルのように考える理由は次の通りです。

1.機内までの東征ルート上では一度も争いは起こっておらず、
むしろ歓待を受けています。
もし一か所でも他国に侵入していたとすれば何らかのもめ事が発生したはずです。
戦いは機内に入って初めてナガスネヒコと戦ったことになっていますので、
兵庫までは自分の領地だったと考えられるのです。

2.神武東征の前に出雲との間で国譲りが行われています。
出雲は天照大神の弟であるスサノウノミコトの降臨先であるのに対して、
日向は天照大神の直系の孫であるニニギノミコトが降臨した場所です。
すなわち日向は本家で出雲は分家の関係になります。
分家である出雲は本家である日向の命令に逆らえずに国を譲ったと考えられるのです。
これによって日向の天尊族は西日本の大半を支配できたのではないでしょうか。

以上の理由により神武東征の時はすでに広大な支配地が存在していたのではないかというのがこの記事の趣旨です。

この説を裏付けるのが荒神谷遺跡の大量の戦闘用具です。

よほど大きな支配層が存在しなければ説明がつきません。

これは私が他の記事で解説しているように、
大陸で生まれた強大な秦の始皇帝による侵略に備えたと考えれば説明がつくのです。
なぜなら隣接した青谷上寺地遺跡から、
大陸から逃げてきたと思われる大量の損傷した渡来人の人骨が発掘されているからです。

蛇足ですが私は現在の古代歴史認識は根本的に間違っていると思っています。

南九州を壊滅させたアカホヤノ大噴火と北部九州で見つかる南方性の曽畑式土器、
縄文海進で水没したと思われる東名遺跡、
さらにその直後のものと思われる朝鮮半島の櫛目紋土器の出土などを総合的に考えますと、
南九州に住んでいた縄文人が大陸に移住したことは容易に想像できるはずです。

このことを前提にしますと、
現在の歴史認識に根本的な事実誤認があることは明らかです。

歴史学者の皆さんには再考を心より願っております。

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