古事記は国内向けで日本書紀は国外向けに書かれた。この解釈はおかしくないですか?
2025/06/09
〈情報メディア発信局へようこそ〉
歴史教科書では古事記は国内向けで、
日本書記は国外向けに書かれたという解釈がなされていますが、
もしそうだとしますと次のような疑問が起こります。
もし初めからそのような意図で作られたのなら、
なぜわざわざ時期をずらし、
かつ異なる2度の調査を命じる必要があったのでしょうか?
普通の感覚ですと、
一度の調査結果を国内向けと海外向けに編集すればいいだけのことです。
実際には別々にやったために、
両者で年数など部分的な相違が発生しているのです。
常識的に考えますと、
このような手法は2度の異なる調査結果を比較するとによって、
調査の誤りや偏りを減らす目的で使われるもので、
国内向けや海外向けと言った異なった用途への使用は、
通常は編集で行えばいいことではないでしょうか。
異なったチームによっての2度の調査は、
費用が掛かるだけでなく期間も要し、
しかも両者に部分的な相違が生じるのは、
むしろ都合が悪いことではないでしょうか?
以上のような理由で国内向け海外向けのためと言う解釈は違うような気がするのです。
歴史学会は未だに魏志倭人伝を重視し、
記紀を軽視した扱いになっています。
これは作られた時期が前者の方が古いと言うだけで、
日本国内には伝承や祀られた神社の存在など、
多くの点で記紀の方が遥に信憑性が高いと思われるのです。
戦前は記紀の方が重視されていました。
しかし戦後は魏志倭人伝の方を重視するようになったのです。
これは天皇の歴史を否定したいGHQの方針によるもので、
日本の歴史学会は未だにこの方針を引きずっているからなのです。
情けないと思いませんか?
これが私が歴史学会に投げかけたい言葉です。
*話が複雑になりますので本文では書きませんでしたが、
記紀が作り話とすると、
なぜ編纂に何十年もの期間を要したのでしょうか。
嘘を書くのであれば時間は要りません。
適当に天皇の武勇伝をちりばめればいいだけのはずです。
何十年も要したのは全国から膨大な伝承を集め、
慎重に吟味したからではないでしょうか。
天皇に献上する使命を持った人が、
いい加減な作り話で間に合わせることがどれ程恐れ多いことかを考えれば、
おのずと答えは分かるはずです。
作り話と主張する人は、
当時の天皇の権威と言うものが全く分かっていないのでは無いでしょうか。
もしかしたら日本人では無いのかも知れませんね。
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