情報メディア発信局

様々な情報コンテンツを発信していきます!

邪馬台国は無いが高天原はあったと思われる根拠

   

〈情報メディア発信局へようこそ〉

現在の歴史認識は、

邪馬台国は実在していたが高天原は伝説上の架空の場所とされています。

私は全く逆で高天原は実在で邪馬台国は陳寿の創作と思っています。

ここでは邪馬台国は実在せず、

高天原は朝鮮半島にあったという前提でその根拠を述べてみようと思います。

その1.邪馬台国が実在していなかったと思われる理由

1.場所が特定されていない。

邪馬台国の位置については九州説と畿内説が有力とされていますが、

未だに決着がついていません。

色々な説がありますがいづれもそうではないかと言う可能性を示すだけで、

明確な考古学的証拠が出ていません。

2.伝承だけでなく記紀や各地に残る風土記にも一切記録がありません。

もし実在していたら何らかの伝承や記録が残るはずです。

大和政権が意図的に隠したという説がありますが、

伝承や風土記など全国に残る痕跡をすべて消し去ることは出来ません。

もともと無かったと考える方が理にかなっています。

3.そもそも倭国大乱の証拠もない。

邪馬台国の卑弥呼は倭国大乱を収めたことが魏志倭人伝に記録されています。

しかしその倭国大乱の伝承も考古学的痕跡も残っていません。

大乱は多くの人が犠牲になることから伝承に残りやすいはずです。

しかし倭国大乱は伝承だけでなく風土記にも記録が無いのです。

倭国大乱が無ければそれを収めたとされる邪馬台国の存在も疑わしいことになります。

また大乱がおこれば損傷した人骨や武器の破片などが残るはずです。

そのような考古学的な痕跡がどこにも見つかっていないということは、

大乱そのものが無かった可能性が高いということです。

倭国大乱が陳寿の創作だとすれば、

それを収めたとされる邪馬台国と卑弥呼も疑うしかありません。

その2.高天原が実在していたと思われる理由

1.天皇家のご先祖が朝鮮半島に渡られる出来事が起こった。

高天原とは天皇家のご先祖が住んでおられた場所のことです。

約7300年前に鹿児島沖でアカホヤの大噴火が起こりました。

南九州は人が住めなくなり、

日向に住んでおられた天皇家のご先祖は北部九州に疎開されたはずです。

ところがその後起こった縄文海進によって北部九州の集落は水没し、

やむ負えず朝鮮半島に疎開されたはずです。

これは土器の年代が証明しています。

南九州の土器は約8000年前、

北部九州の曽畑式土器は約7000年前、

朝鮮半島の櫛目紋土器は約6000年前なのです。

これは明らかに、

南九州⇒北部九州⇒朝鮮半島、

と住民の移動があったことを示しています。

このことから天皇のご先祖は日向から朝鮮半島に渡られたと推測できるのです。

もしそうならなぜ天孫降臨先が日向だったのか明確に説明できます。

2.出雲にはスサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っている。

出雲にはスサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っており、

上陸された浜の場所や船が化石になったとされる巨石が存在して、

信仰の対象になっているのです。

船の化石化はともかく、

このような伝承が残ることは何らかの出来事が起こったはずだと考えられるのです。

出雲の沖は朝鮮半島です。

高天原を追放されたスサノウノミコトが出雲に上陸されたとすれば、高天原は朝鮮半島にあったことになります。

3.当時朝鮮半島で皆既日食が起こっている。

高天原で起こった天の岩戸隠れは皆既日食ではないかと言われています。

年代的には2,3世紀と考えられますが、

この時期に皆既日食が朝鮮半島で2度起こっており、

昼間真っ暗になるほどの完全な皆既日食は日本では起こっていないのです。

このことから朝鮮半島が高天原だったとすれば、

記紀の記述と完全に整合性がとれていることになります。

以上それぞれ3つ根拠を示しましたが、

それ以外にも、

記紀に記されている神武東征の伝承は九州から畿内まで、

広範囲に残されており、

実際の地名や祀られた神社など、

作り話では考えられない多くの証拠が揃っているのです。

ところが日本の歴史教科書には記紀は作り話とされ、

全く証明できていない魏志倭人伝の記録の方を真実と決めつけ、

邪馬台国と卑弥呼の歴史の方が史実だと認定されているのです。

おかしいと思いませんか?

スポンサーリンク

 - 未分類