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古代日本史は根本的に間違っている

   

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現在の古代日本史は、

魏志倭人伝に記述された邪馬台国と卑弥呼から始まったことになっています。

しかし戦前は、

記紀をベースとした神武東征から始まったことが史実とされていたのです。

なぜ戦後このように歴史認識が変わったのでしょうか。

それはGHQによる教育改革が行われたからです。

日本の敗戦によってGHQによる日本統治が行われました。

GHQの命令はまるで神の命令であるかのように一切の反論も許されなかったのです。

GHQは天皇のもとで戦争が遂行されたことから、

天皇の権威を失墜させるために記紀を作り話と決めつけ、

代わりに魏志倭人伝に記述された、

邪馬台国と卑弥呼をベースとした教育に改めるように命じたのです。

戦勝国だからと言って他国の歴史に介入することは違法ですが、

日本は独立を認めてもらうには従うしかなかったのです。

戦前の教育は改められ新たな戦後教育が始まりました。

教職追放によってGHQの方針に従う新たな学者や教育者が登場したのです。

当然のことながら、

邪馬台国と卑弥呼は国内に一切の証拠が見つからなかったのです。

しかしGHQの方針には逆らえませんので、

邪馬台国と卑弥呼が実在したという前提で歴史が作られたのです。

結果として約80年も経過したにもかかわらず、

未だに邪馬台国の場所も卑弥呼の実在を証明する明確な証拠は見つからず、

未だに歴史のロマンと言う非科学的な言葉が横行しているのです。

では記紀は本当に作り話なのでしょうか?

中心人物である神武天皇の伝承は出身地とされる宮崎県に多く残されています。

子供のころ泳いだとされる高原町の御池に残る伝承、

よく乗っておられたとされる馬にまつわるシャンシャン馬祭りは今でも行われています。

特に神武東征にまつわる伝承は多く残されていて、

東征の際梅の木の下で議論されたとされる座論梅、

東征のために矢を研いだとされる矢研ぎの滝、

東征の出航地だった美々津港には早朝の船出だったために、

起きよ起きよと呼びかけたことから生まれた起きよ祭りが今でも行われているのです。

このほか東征の伝承は宮崎から畿内まで、

記紀に記載された東征のルートに沿っておびただしい伝承や関連した多くの地名や神社が存在しているのです。

このような証拠が揃っていて作り話と断じたのは、

GHQの無知とあくまで天皇の歴史を否定したいという思惑に他ならなかったのです。

このような経緯を考えますと、

魏志倭人伝の記述は信憑性が低く、

記紀こそが正しく歴史を反映していると考えざるを得ないのではないでしょうか。

皆さんはどう思われたでしょうか。

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